FC2ブログ
Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
12 | 2019/01 | 02
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

考察の書き方
昨日紹介した考察の書き方、特に以下の説明について、より具体的に検討を加えます。

---
 例として、AとBに相関関係を見いだした論文で説明します。AとBに相関関係があることは結果(データおよびその加工)です。「Aする人は、Cなので、Bする傾向が高い」が結論、つまり結果が何を意味するかです。しかし、「Cなので」とは言い切れません。「Dなので」という理由も考えられます。相関関係から因果関係を導くには、第3の因子の排除や因果逆転の可能性の排除も必要です(ここでは説明省略)。相関関係から、思いつきのように因果を導いてはいけません。
---

 具体例として、朝食摂取と学力の関係で検討します。
Research Question:朝食を食べるかどうかは、学力に影響を及ぼすのか
仮説:朝食を食べると、脳の活動が活性化されるので勉強に集中できる。その結果、学力が向上する。
結論:仮説は正しい

 朝食摂取と学力の間には相関関係があります(下図参照)。引用は農林水産省のホームページ(http://www.maff.go.jp/j/seisan/kakou/mezamasi/about/databox.html)です(現在、この図は削除されている)

 しかし、この相関関係(=結果)から、仮説(=結論)は論証できません。つまり、「朝食を食べると、脳の活動が活性化されるので勉強に集中できる。その結果、学力が向上する。」とは言えません。なぜなら、「朝食を食べる」と「学力が向上する」を結びつける理由が、「脳の活動が活性化されるので勉強に集中できる」以外に考えられるからです。

 この相関関係から、仮説を論証するには第3の因子を排除しなければなりません。第3の因子とは、相関関係のある2つの事象それぞれに、因果と相関を持つ可能性のある事象です。この第3の因子があると、因果のない2つの事象に相関関係が見えてしまいます。第3の因子を排除して初めて、相関関係のある2つの事象に因果関係があると認められます。

 今回の例では、第3の因子1として、「親の育児熱心度」が考えられます。親が育児熱心なので、朝食をしっかり準備する。親が育児熱心なので、家庭学習もしっかりやる。こうなると、「朝食を食べる」と「学力が向上する」に因果関係はなくても、この2つの事象に相関関係が見えてしまいます。

 また、第3の因子2として、「睡眠時間」が考えられます。睡眠不足だから、朝食を食べる時間を惜しんで寝る。睡眠不足だから、授業を聞いていられない。こうなると、「朝食を食べる」と「学力が向上する」に因果関係はなくても、この2つの事象に相関関係が見えてしまいます。

 そこで、この第3の因子を排除したデータが必要です。たとえば、「親の育児熱心度」と「朝食の準備」には相関関係がないというデータです。「親の育児熱心度」と「家庭学習」には相関関係がないというデータです。「睡眠時間」と「朝食を食べる」には相関関係がないというデータです。「睡眠時間」と「授業態度」には相関関係がないというデータです。

 考察では、朝食摂取と学力の相関関係を示すデータと、第3の因子を排除したデータで仮説を論証していきます。つまり、朝食摂取と学力の相関関係を示すデータで、この2つの事象に因果関係がある可能性を示します。次に、第3の因子を排除したデータで、「朝食を食べると、脳の活動が活性化されるので勉強に集中できる。その結果、学力が向上する。」以外の因果関係をつぶします。その結果、仮説が論証できたと説明するのです。この説明が、「結果が何を意味するかの考えを述べる」ということです。

 ということは、データをとるときには、考察でどう論証するかも、あらかじめ考慮しなければなりません。朝食摂取と学力の相関関係を示すデータだけをとったのでは、後で考察ができません。考察のことを考えると、第3の因子を排除したデータも同時にとっておく必要があります。論文を書き始めてからでは、もはやデータはとれないことが多いです。

 ちなみに、私は、「朝食を食べると、脳の活動が活性化されるので勉強に集中できる。その結果、学力が向上する。」なんてこれっぱかりも思っていません。この、朝食摂取と学力の相関関係から間違った因果関係を導き出すことは、論理的思考を深く勉強した人であれば、どこかで目にしたことのある話です。しかし、未だにこの間違った因果関係が主張され続けています。ちなみに、私の子供たちが通った学校でも、この間違った因果関係から「朝食を食べさせてから登校させてください」と言われました。

朝食と学力

スポンサーサイト
考察とは
 考察は、結果から結論を導く(=論証する)パートです。つまり、この結果を持って、なぜ、この結論を導き出せるかを論証するパートです。たとえば、相関関係があるという結果から、なぜ、そこに主張するような因果関係があるかを説明するパートです。単に、結論から考えられることを述べるのではなく、その考えを論証するパートです。

 言い換えるなら、Reserch Question に対する答え(=仮説=結論)を、データ(=結果)をもとに論証するパートです。多くの場合、結果から唯一の結論は導けません。結果だけから考えると、複数の結論の可能性が残ります。そこで、考察によって、1つの結論を導くのです。

 例として、新手法が既存手法より優れていると訴える論文で説明します。2つの手法を3つの観点で比較した結果、既存手法が2つの点で優れていたとします。しかし、この2勝1敗という結果から、2勝した側の勝ちという唯一の結論は導けません。内容によっては1勝した側の勝ちという結論もあり得ます。そこで、2勝1敗という結果から、どちらの勝ちかを論証するのが考察です。

 ところが、多くの論文で考察での論証がないのです。結果が何を意味するか(=結論)を一方的に断じて終わりです。なぜ、そう意味するといえるかの論証がないのです。なので結論に対する納得感が弱いです。論証がないので、考察の内容が薄いばかりか、結論と同じになってしまっています。

 例として、AとBに相関関係を見いだした論文で説明します。AとBに相関関係があることは結果(データおよびその加工)です。「Aする人は、Cなので、Bする傾向が高い」が結論、つまり結果が何を意味するかです。しかし、「Cなので」とは言い切れません。「Dなので」という理由も考えられます。相関関係から因果関係を導くには、第3の因子の排除や因果逆転の可能性の排除も必要です(ここでは説明省略)。相関関係から、思いつきのように因果を導いてはいけません。

 ちなみに、技術論文などでは、結果がストレートに結論なので、考察が事実上不要な場合もあります。たとえば、青色発光ダイオードが実現できていなかったとき、材料や手法の工夫で青色に発光するダイオードができたとします。青色に発光するという結果が、そのままこの材料や手法が有効であるという結論です。仮にその材料がいかに高価であろうが、その手法がいかに複雑でコスト高であろうが関係ありません。論証するまでもなく、青色に発光させることが、すべてを凌駕するからです。

 考察に対する誤解が多いのは、考察とは何かを説明する文に問題があると思います。多くの説明で、「結果が何を意味するかの考えを述べる」のように表記されています。この「述べる」がくせ者です。文字どおり、考えだけを述べて終わりにしてしまいます。「結果が何を意味するかの考えを論証する」とすれば、より正しい理解につながるかと思います。
論理的とは何か
偶然、「論理的とは何か」について考える機会が2度ありました。1つは、向後ゼミ研究発表会での「中高生の論理的文章作成における型の指導とピア・レスポンスの効果」という論文発表です。もう1つは、「論理的な話し方を身につけるコツ【ロジカルって何?】」(下記URL)という記事です。
http://www.n-links.co.jp/web/nblog/book/ronritekinahanasikata/?fbclid=IwAR3w0ulHHyzH363Tf2puWRDKhTmG4td8ckmmj7v-5ekLFHL9YsDrvSN8fW8

 論理的であることを論じるには、「論理的とは何か」を定義すべきです。世の中には、「論理的な」と謳う本や講座、記事が溢れています。しかし、この「論理的な」はいろいろな意味に使われています。だから、使う人によってかなり意味が異なります。そこで、「ここでは、論理的であるということを、こう意味でとらえている」という定義がほしいのです。人によって異なる解釈を、その場だけでもよいから、限定してほしいのです。(まあ、そう考え始めたのは、7年くらい前と、結構最近ですが)

 「中高生の論理的文章作成における…」という論文では、「論理的」を「三角ロジックに基づく状態」と定義しているようでした。つまり、三角ロジックの基本形である、主張、データ、理由付けができている状態です。この定義は、論文発表の場では、明確に言語化されていませんでした。しかし、発表内容を聞く限り、上記の定義と判断できました。

 定義の妥当性は二の次で、定義されていることが重要です。「ここでは、そういう意味で使う」と、ある程度妥当性のある定義を示してもらえば、その範囲で検討できます。逆に言えば、定義された意味以外は除外できます。「本当に、三角ロジックに基づく状態で文章を書けるようになるのか」を検証すればよいからです。「定義の妥当性は二の次」といいましたが、もちろん、ある程度の妥当性は必要です。

 一方、「論理的な話し方を身につけるコツ【ロジカルって何?】」という記事では、「論理的」を『「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」事』と定義してました(下記引用を参照)。
ーーー引用ーーー
論理的とは何か
メッセージ(伝えたいこと)を、「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」事が論理的であるとされています。

逆に論理的ではないことを把握しても、論理的の意味が見えてきます。

「論理的ではない」とは何か
反対に非論理的なものを上げると、

一貫していない
根拠がない
飛躍がある
言いっぱなし
感情的な主張
これらが含まれている時点で、論理性とは乖離してしまいます。
ーーー引用ーーー

 この定義には、妥当性がない(論理的ではない)ので認められません。なぜなら、「非論理的なもの」としてあげている5つの状態が、定義と整合しないからです。たとえば、「根拠がない」や「感情的な主張」は、定義である「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」のどれに反しているのでしょう?無理矢理関連づけようと思えばできますが、決して「明確に伝える」状態ではありません。

 このようないい加減な定義では、内容の検討ができません。なぜなら、「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」という観点で検討してよいのかかがわからないからです。この3つの観点で、論理的か非論理的かを検討するなら、定義の補足情報(「非論理的なもの」)が非論理的となってしまいます。これでは、定義の後に書かれている「論理的な話し方」も「セルフディベート」の内容も、論理性を検証できません。

 さらには、おまけで加えるなら、「非論理的なもの」としてあげている5つの状態が正しく並列できていません。まず、この5つは互いに重複しています。たとえば、「根拠がない」=「言いっぱなし」=「感情的」なのではないでしょうか。さらに、上4つは形容詞句ですが、最後の1つは名詞句です。

 ちなみに、私は、自分の講座(ロジカルライティング講座)の冒頭で、「この講座における論理的とはこういう意味です」と定義して始めます。
並列したら順位付け、でもできない
「並列したら、順位付け。基本は重要な順」は、誰もが知っているライティングのルールだ。しかし、これが意外とできない。知っていてもできない代表例である。

 なぜできないかというと、人は作業した順に報告したくなるからだ。作業した順とは、ノートや資料に書いてある順だ。この順に報告書を書くのが楽なのだ。何も考えずに、ノートや資料を見ながら、やったことをやった順に思い出しつつまとめればよい。並べ替えるという面倒なことをせずにすむ。

 しかし、作業は重要な順よりは作業効率がよくなる順を優先することが多い。作業には無駄な時間をかけたくない。だから、重要性より作業効率を優先する。たとえば、複数箇所でデータを採取するなら、移動時間が短くなる順に回るだろう。複数の実験をするなら、実験装置が空いていた順位やることもあるだろう。

 だからノートに書いた順(作業した順)に報告書をまとめるとおかしなことになる。読み手から見れば、何の意味も無い順に並んでいるのだ。知りたい順には書かれていないことになる。

 誰もが絶対できない代表例は、複数のプレゼンターによるセミナーの受講報告書だ。この報告書は、誰もが受講した順に報告書を書く。受講した順に書くのが楽だからだ。しかし、どんな順に受講したかは読み手には興味が無い。参考になった順に並べ替えるべきだろう。しかし、並べ替えられる人はまずいない。
主張には根拠が必要
 主張を述べたら根拠が必要です。しかし、根拠無く主張する人は、知識人にも結構います。根拠を持った主張するためにも、パラグラフという概念は重要です。

 知識人の書いた本であっても、根拠ない主張をよく目にします。たとえば、齋藤孝明治大教授は、週刊ダイヤモンド(2005.6.11)の「説得力」記事の中で、「ディベートでは往々にして、立場を変えていかようにでも議論できることを求める。しかし、自分の価値基準を離れて論理構成をするという習慣を身につけるのは決して好ましくない。」とだけ述べて根拠は述べていません。なぜ、「好ましくない。」のかを述べていないのです。

 根拠なく述べてよい主張は、その主張を誰もが肯定する場合だけです。たとえば、「主張を述べたら根拠が必要です」や、「世界人類が平和でありますように」のような主張です。なぜ根拠が不要かといえば、根拠など述べなくても、主張を聞いた側は同意するからです。根拠は、同意してもらうための情報なのです。同意する人しかいないなら、根拠を述べる必要はありません。ですから、先の例でも、その主張に異論を唱える人を前提に述べるなら根拠が必要です。

 根拠なしに主張してしまう原因の一つが、パラグラフを使わずに文章を書いていることです。パラグラフを意識せずに、文章を文で書くと、1文だけでも次のトピックに移れます。主張だけでも文はつながるので、根拠を述べなくなります。1,2文で次々改行するような文章を書くと、根拠のない主張が登場します

 一方、パラグラフで文章書くと根拠述べずにはいられません。なぜなら、パラグラフはトピックセンテンス+サポートセンテンスで構成するからです。主張であるトピックセンテンスだけではパラグラフになりません。しかも、サポートセンテンスは4文程度は必要なので、必然的に根拠が厚くなります。文章を論理的にするためにもパラグラフは重要なのです。


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。