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Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
11 | 2018/12 | 01
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図表番号の参照
 図表番号を参照するとき、文頭側に示しますか?文末側に示しますか?私は、文末側です。

 実は、ライティングの本で、このことに言及しているのを、私は見たことがありません。テクニカル・ライティングの世界では、重要ではないとして無視されているのかもしれません。あるいは、どこで述べるかは、習慣上の常識で説明する必要がないのかもしれません。

 私は、文末で示します。なぜなら、主張から根拠の流れが、テクニカル・ライティングでは常識だからです。つまり、まずポイントを述べ、それからデータです。図表はデータなので、主張の後です。図表で伝えたいことを先に述べ、それからデータである図表を示すべきと考えます。

 私は自分の意見を論証するために、このことを調べたことがあります。本には記載が見つからないので、実際はどう書かれているかを調べたのです。調査は、以下の2種類。
 1.学会論文(英語圏)はどちらで書かれているか
 2.テクニカル・ライティングの教科書ではどちらで書かれているか

 学会論文の実績を調べたところ、約10倍の頻度で文末派でした。科学雑誌のネイチャーの論文を数百件をテキストデータとして持っていました。そこで、このデータをプログラム処理して調査しました。その結果、圧倒的に文末派でした。

 テクニカル・ライティングの教科書を目視でチェックした結果、文末での表示しかありませんでした。調査したのは数冊ですから統計的な信頼はありません。しかし、ライティングの専門家が、文末にしか図表を持ち出さないなら、かなりの信頼性はあると思います。

 さて、あなたはどちら派
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蔵書の電子化
 私は、1,000冊以上のビジネス書を、ほぼ全て電子化している。大変な作業だが、メリットは大きい。

 数年前、意を決して電子化を始めた。本をカッターで裁断し、スキャナで電子データ(PDF)にする。さらに、OCRで文字情報を追加した上で圧縮する。コツコツと数ヶ月かけて、蔵書を電子化した。

メリット1:
 検索できる。書籍内はもちろん、書籍間だって検索できる。あることを調べたいとき、キーワードで検索すれば、そのキーワードを本文中に持つ全ての本とページが特定できる。私は、このFacebookで人の本を引用することがあるのも、この検索機能のおかげだ。

メリット2:
 拡大して読める。私は、ビジネス書は原則、13インチのiPad proで読む。新書サイズもA4サイズになる。老眼鏡なしでも読める。

メリット3:
 持ち運べる。1,000冊以上が1枚の ICカードに収まる。全てをクラウドにもあげられる。いつでもどれでも読める。おかげで、読み直した本も多い。

メリット4:
 家のスペースが空く。1,000冊もあれば、本棚がいくらあっても足りない。私は、半間の本棚を1つ持っているだけだ。しかも、半分程度のスペースは、本以外を収納している。我が家は木造住宅だが、家の歪みや床抜けも心配せずにすむ。

メリット5:
 平面に表示できる。紙なら、あるページを開いた状態で置いておくのは難しい。開いたら手で押さえておく必要がある。電子化すればタブレットで表示できるので平面だ。教科書を開きながら、ノートを取ることもできる。

 さあ、あなたも蔵書を電子化しましょう!
反論は、従来の主張を上回っていることを論証しなければならない
 新たなことを主張することで生ずる対立を買って出る(反論する)人もいる。しかし、日本人は議論の勉強をしていないので、反論にならない。反論するには、従来の主張より自己の主張が上回っていることを論証しなければならない。

 反論する上で最初に確認すべきは、反論の対象である主張は立証できているのかだ。立証できていない主張に反論してはいけない。まずは、立証責任が果たされていることが、反論する第一条件だ。広く広まっている考え方などは、立証責任は果たされていると考えてよい。

 反論するなら、以下の2つのパターンになる。
1.従来意見にはメリットはない(あっても無視できるほど小さい)。一方で、深刻なデメリットが生じる。
2.従来意見にはメリットはあるが、デメリットの方が大きい

 この2つのパターンを、「出入国管理法改正」を例に説明しよう。与党側の主張は、「出入国管理法改正により、外国人労働者が増えるので、深刻な労働者不足を緩和できる」である。この主張は、立証責任が果たされているとしよう。

 この主張に対する反論は、以下のようになる。
1.出入国管理法改正により、外国人労働者が増えるが、深刻な労働者不足には焼け石に水である。一方、犯罪増加などのトラブルが増える。
2.出入国管理法改正により、深刻な労働者不足を緩和できるが、犯罪増加などのトラブルが増える方が、より深刻な問題である。

 このとき反論する側は、以下のことを論証しなければならない。
1.「出入国管理法改正による外国人労働者の増加は、深刻な労働者不足には焼け石に水であること」&「犯罪増加などのトラブルが増えること」
2.「深刻な労働者不足を緩和できことより、犯罪増加などのトラブルが増える方がより深刻であること」

 ところが、議論を知らないと、「メリットは認めるが、デメリットがある」と述べてしまう。つまり、「犯罪増加などのトラブルが増える」ことだけを論証してしまう。これでは反論にならない。反論するには、デメリットがメリットを上回ることは論証しなければならない。この論証は、反論側の責任だ。

 この、「メリットは認めるが、デメリットがある」と述べて反論した気になっている人は、知識人にもよく見られる。たとえば、新聞に記載されている大学教授の意見文などだ。「昨今、こういう傾向がある。確かにこんなメリットがあるのだろう。しかし、こういう問題が生じる」では、反論にはならないのだ。

 正当な反論であっても、説明の仕方が不十分だと、がっかりしてしまう。
対立を避ける人が多い
 新たなことを主張することで生ずる対立を避ける人は多い。しかし、それでは進歩はないし、自己否定にもなる。

 対立を避けるとは、「AではなくBだ」と述べるのではなく、「Bもある」とだけ述べるだ。しかも、「Aに加えて」とすら述べない。「Aに加えて」と述べてしまうと、二者択一になった場合、間接的に「AではなくBだ」と述べたのと同じになるからだ。Aについては全く触れないで説明するのだ。

 対立を避けることについて、宇佐美寛氏はその著「新版 論理的思考」で以下のように述べている。
「これらの論文のほとんどは、その筆者自身が他の研究者と違って何を明らかにし得たのかが、どう読みなおしても、書かれていないのである。これらの論文は、先行研究に対する批判や新たな結論の主張をするために書かれているのではないようである。」

 対立を避けるのは、その世界で生きていくための知恵かもしれない。従来を否定することは、自分の師や業界の重鎮に牙をむくのも同然だ。論理的に正しくても、権力によって自らが抹殺されてしまう可能性は高い。必然的に対立に対して腰が引ける。

 しかし、対立を避けていては進歩はない。「Bもある」では、Aに代わってBが採用されることはない。Bが採用されるには、Aより優れていなければならない。明らかに優れていると論証できないなら、現状のAのままだ。「AではなくBだ」と述べてはじめてBは採用される。

 また、対立を避けていては自己否定になる。Aより優れているからBを主張するのだ。そこをごまかすなら、何のためにBを立案したのだ。自分の考えを自己否定するに等しい。

 私は、対立を避けるのが嫌いだったので、サラリーマンを続けることをやめた。
新たなことを主張すれば対立を生む
 新たなことを主張すれば、必ず対立を招く。この対立を乗り越えてこそ進歩がある。しかし、この対立は、主張をする側にとっては大きな負担で、避けたくなる。

 従来と異なる主張をすることは、従来を否定することになる。たとえば、「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張すれば、従来の「受動態を避けるべき」という広く受け入れられてきた主張を否定することになる。

 従来を否定することについて、宇佐美寛氏はその著「新版 論理的思考」で以下のように述べている。
「印刷して他人に読ませる論文である以上、述べられている筆者の考えが、それ以前にあった他人の研究とは対立し、それらを批判し、それらにまさっている点を明らかにしていなければならない。」

 従来を否定するのだから、弟子は師を否定することになる。弟子は、師が時間をて得た知恵やスキルを、ずっと短い時間で教えてもらえるのだ。その分、弟子には時間がある。弟子には、師を乗り越えていくべき義務がある。だから、師の不十分な部分を見いだし、その部分を克服しなければならない。仮に、不十分なところを見いだしたことで師が怒り狂ったとしても。

 しかし、従来を否定すれば対立を招く。従来の立場に立っている人がいるからだ。先の「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張する例で言えば、「受動態を避けるべき」と信じていた人がいる。さらには、「受動態を避けるべき」と指導している人がいる。新たな主張が、自分の利益や立場を脅かすことになるなら、その対立は激化する。

 この対立は大きな負担だ。なぜなら、多くの場合、従来の立場に立っている人の方が、社会的な立場が上であり、しかも多数派だからだ。だから、従来の立場のものは、新しい主張を、社会的な圧力や数の力で葬り去ろうとする。これに対して、主張する立場は、論理でのみ勝負するしかない。多くの場合、論理より権力や数が勝つ。
図表はどこで参照する
 図表番号を参照するとき、文頭側に示しますか?文末側に示しますか?私は、文末側です。

 実は、ライティングの本で、このことに言及しているのを、私は見たことがありません。テクニカル・ライティングの世界では、重要ではないとして無視されているのかもしれません。あるいは、どこで述べるかは、習慣上の常識で説明する必要がないのかもしれません。

 私は、文末で示します。なぜなら、主張から根拠の流れが、テクニカル・ライティングでは常識だからです。つまり、まずポイントを述べ、それからデータです。図表はデータなので、主張の後です。図表で伝えたいことを先に述べ、それからデータである図表を示すべきと考えます。

 私は自分の意見を論証するために、このことを調べたことがあります。本には記載が見つからないので、実際はどう書かれているかを調べたのです。調査は、以下の2種類。
 1.学会論文(英語圏)はどちらで書かれているか
 2.テクニカル・ライティングの教科書ではどちらで書かれているか

 学会論文の実績を調べたところ、約10倍の頻度で文末派でした。科学雑誌のネイチャーの論文を数百件をテキストデータとして持っていました。そこで、このデータをプログラム処理して調査しました。その結果、圧倒的に文末派でした。

 テクニカル・ライティングの教科書を目視でチェックした結果、文末での表示しかありませんでした。調査したのは数冊ですから統計的な信頼はありません。しかし、ライティングの専門家が、文末にしか図表を持ち出さないなら、かなりの信頼性はあると思います。

 さて、あなたはどちら派
反証責任
 立証責任が果たされた意見には、相手側に反証責任が生じます。立証責任と反証責任の概念が理解できて始めて議論が成立します。

 反証責任とは、立証された意見には反論する義務が生じるという考え方です。この義務を果たさないなら、つまり反論しないなら、相手の意見を認めたことになります。つまり、沈黙は了承だということです。裁判でも、原告側が立証責任を果たせたなら、被告の黙秘は役に立ちません。

 この反証責任は、生じたらすぐに果たさなければなりません。沈黙によって暗に了承を示しておきながら、あとから反論してはいけません。後になって蒸し返しをすると、アンフェアのそしりを受けます。

 さらに、反証責任を果たされた意見(=反論)には、また反証責任が生じます。反論に対しても沈黙は了承です。すぐにまた反論する義務が生じるのです。

 この立証責任と反証責任の概念が双方にあって議論が成立します。立証責任を知らなければ、意見に根拠をつけようとしません。これでは議論になりません。反証責任を知らなければ、根拠を持って述べられた意見が無視されることになります。これでは議論になりません。

 しかし、残念ながらほとんどの人はこの概念を知りません。だから議論になりません。その場合、私は議論をやめて話題を変えます。
立証責任
 立証責任という概念を理解できていて、初めて議論ができる人になれると言える。

 立証責任とは、「言い出した側に、その言い正しいことを論証する責任がある」という考え方だ。逆に言えば、言われた側には、その主張が成立していないことを論証する義務はないと言うことだ。たとえば、「神は存在する」と主張するなら、存在することを論証するのは、「神は存在する」と主張した側だ。神が存在しないことを論証する必要はない。

 裁判でも、原告側が立証責任を追う。原告側が、被告が罪を犯したとか、被害を加えたことを論証しなければならない。被告側には無罪を立証する必要はない。だから、完全黙秘でも、原告が立証責任を果たせないと無罪となる。

 この立証責任は重い。何しろ被告しか知らないことが多数あるのだ。原告側が証拠を見つけ出すのは困難だ。たとえば、先の55歳の女性が敗訴した件、年齢によって差別を受けたことを論証するのは原告である女性側だ。しかし、女性側には、合否の基準も、面接の採点も知らされていない。この状況で差別を受けたことを立証するのは不可能だ。

 立証責任は重いので、一部の裁判はたいがい原告が負ける。たとえば医療過誤だ。医療行為にミスがあったことを、素人側が、医療データもなしに論証しなければならない。まず不可能だ。だから、医療過誤の裁判は、ほとんどが無罪判決になる。
立証責任
 立証責任は重いので、負う必要のない立証責任を負ってはいけません。逆に、立証責任を相手に押しつけると、議論を有利に進められます。

 立証責任は言い出した側が負うべきなので、言い出してもいないのに立証しようとしてはいけません。たとえば、「神は存在する」という意見を聞いて、「神は存在しない。なぜなら、」なんて言い出してはいけません。まずは、「神は存在する」と言い出した側の根拠を聞くべきです。

 しかし、議論が得意と勘違いしている人ほど、負う必要のない立証責任を負います。意見を述べたくてウズウズしているからです。相手が意見を言う時間を与えないくらいに、自らが意見を述べることが議論上手と思っているのです。

 本当に議論が上手な人は、自分が負うべき立証責任まで、相手に負わせてしまいます。自分が立証すべきことを相手に立証させ、相手がしどろもどろになって立証しているところで、突っ込みを入れるのです。本当に議論が上手な人はしゃべりません。

 立証責任を相手に負わせるコツは、「なぜですか?」と問うのです。「なぜですか?」と聞かれれば、たいがいの人はなぜかを答えます。なぜかを答えるのは、自分なのか、相手なのかは考えません。なぜかを答えてくれれば、立証責任は相手が負ったことになります。あとは、相手がしどろもどろになって立証しているところで、突っ込みを入れればいいのです。

例:
A氏:「当社はソフトウェア開発拠点を中国に移すべきです。なぜなら、…(根拠)。」
B氏:「なぜ、インドではなく中国なの?ソフトウェア開発ならインドが適切ではありません?」
A氏:「なぜなら、…」(負う必要のない立証責任を負っている)
立証責任
 立証責任があまりに重いので、その緩和を図ったのが製造物責任法(PL法)です。ある製造物で被害を受けても、ユーザーがその製造物の欠陥を立証することは不可能になってきました。なぜなら、製造物の電子化が進んだ結果、素人のユーザーは欠陥を見つけられないからです。そこで、PL法では、原告の立証責任を「想定しうる範囲の使用法で使用した結果被害を受けた」まで緩和したのです。製造物の欠陥の立証は免除したのです。

 気をつけたいのは、PL法では、「想定しうる範囲で使った」立証を求めていることです。つまり、正しい使い方でなくても、想定しうる誤用でもかまわないということです。たとえば、エスカレータのメーカーが、「エスカレータでは歩かないでください。歩くようには作られていません」なんて言っていますが、そんな言い分は裁判では通用しません。エスカレータの片側を歩くのは、「想定しうる範囲で使った」ことになるでしょうから。

 アメリカでは、PL法の訴訟で負けると莫大な補償金を取られます。補償金が莫大になるのは、懲罰的な罰金を含むからです。賠償金額が数億円ということはよくあります。しかも、敗訴の原因が注意表示が不十分だったからなんてのもあります。

 以下は、アメリカで起こった、賠償金目当ての裁判の例です。
・ぬれた飼い猫を電子レンジで乾かそうとしたところ、猫がレンジ内部で爆発して扉が吹っ飛び、飼い主がその扉でけがをしたのは、メーカーの注意表示が足りないからだ
・ドライブスルーでホットコーヒーを受け取ろうとしたところ、あまりに熱くて持ちきれずこぼしてやけどしたのは、店員が注意喚起しなかったからだ
・ハンバーガーの食べ過ぎで太ったのは、ハンバーガーチェーン店が注意喚起しなかったからだ


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

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