Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
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鉛筆の先から摩擦熱で煙が出る速さでノートを取る
『一見、よくまとまっていると見える要約、まとめ、スローガンは要らない。そんなものはノートに書かなくてもいい。帰宅してノートを整理する時に書きこめば十分だ。具体的で面白い事実、目を低く(視線を低く) するとはじめて見えるような細かい事実、飾らないくだけた言葉……そういう類いの非インテリ的な事柄をノートするのだ。
 そういう目の低い「低級」なことを書くのだから、相当な量を書くことになる。相当な速度でノートをとる。鉛筆の先から摩擦熱で煙が出る速さだ。ボールペンの場合は、インクが油性で引火するおそれがある。教室には消火器を置く。…… といった速さだ。』(「大学の授業」宇佐美寛)

 「鉛筆の先から摩擦熱で煙が出る速さ」でノートを取った。今週から参加している「グレーター東大塾」だ。そういうノートを取ったのは久しぶりなので、ペンが上手く動かなかった。まあ、そのうち慣れるだろう。ちなみに、「インクが油性で引火するおそれがある」のは困るので、万年筆を使った。(笑)

『自分でノートをとるのは、緊張するためにとるのだ。ノートをとるためには、どうしても話の内容を頭の中で整理しなければならない。内容の構造を考え、どこが大事かを判断しないわけにはいかない。この過程が頭のためになる。考えながら聞く…… これで受身のテープレコーダーのような頭にならずにすむ。』(「大学の授業」宇佐美寛)

 「鉛筆の先から摩擦熱で煙が出る速さ」でノートを取るには、無茶苦茶集中する。頭の中はフル回転だ。疑問もたくさん出てくるので、それもノートに書く。1時間も続けると、頭が痛くなる。勉強して頭が痛くなるのも久しぶりだ。
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授業で取るノートは、話のポイントをまとめるのではない


 2017.7.15の読売新聞夕刊から。違う!何も分かってはいない!

 授業で取るノートは、話のポイントをつかんでまとめるのではない。まとめは、テキストや資料に載っているはずだ。そんなことをノートに取る意味はない。テキストや資料に載っているのだから、「スマートフォンで撮影したり、配布資料にメモする程度で済ませたり」「ノートを持ち歩かない」のは当然だ。 

 ノートに取るのは、話のポイントを理解するために必要な具体例や例えだ。テキストにも資料にも載っていないことを詳細に記録するのだ。抽象的なまとめでは理解できない。具体例などを通じて正確に理解できるのだ。詳細に記録するから、「ペン先から煙が出る速度」で記録するのだ。まとめは、授業が終わってからする行為だ。

 「話のポイントをつかんでまとめる習慣ができれば、社会に出てから必ず役に立つ」ことはない。社会に出れば、話のポイントはまとめてあるはずだ。話のポイントがまとめてないなら、「話のポイントをまとめてください」と言うべきだ。聞き手側が自分勝手にまとめれば、話して側の意図とは違う理解になりかねない。

 「ノートを評価する入試」も馬鹿げている。いかにまとめたかを評価する意味はない。ノートの取り方を試験したいなら、「講義で説明のあった〇〇というポイントについて、具体例を使って説明せよ」とすればよい。もちろん、その具体例は講義の中で述べているのが前提だ。蛇足だが、講義で使われなかった具体例でも、適切な具体例なら正解とすべきだろう。

 さらにいえば、「読解力低下に通じる」「ネット上の短いやりとりが主流となり、相手の話にじっくり耳を傾ける姿勢が失われている」も的外れだ。単に、指導者が正しい指導ができないだけだ。
論理的な文章の書き方を学ぶのは簡単ではない
 論理的な文章の書き方を指導している。しかし、受講者の侮りを感じることも多い。文書を書くことは簡単と侮っているようだ。

 ロジカルライティング講座の受講者の中には、学習する意欲を感じない人もいる。講義中、パソコンを開いて何かしつつ、時々こちらの話を聞く。前の席が空いていても、教室の最後部で聞いている。用事で出て行ったきり、戻ってこない。

 こういう受講者は、自分はそこそこ書けると思っているのだろう。何しろ日本語だ。とりあえず文章は書けるし、毎日書いてもいる。ほんの少し、ポイントを学べば、それで十分と侮っているのだ。講義項目だけ見て、「知っている」と侮っているのだ。

 しかし、論理的な文章を書くことは、そんな簡単なことではない。受講者のほぼ全員が書けない。受講前なら、100点満点で20点の文書も書けない。受講後で30-40点。受講後の継続的な努力で、やっと書ける(60点以上)ようになる。
「知っている」と「理解している」は違う
 「知っている」と「理解している」は違う。「理解している」と「できる」もちがう。なのに、人は「知っている」だけで満足する。

 多くの人は、パラグラフとは何かを「知っている」。パラグラフとは、「ある1つのことを述べるのを目的とした文の集合体」だ。より「知っている」人は、パラグラフの先頭にはポイントを述べることも知っているだろう。上記のような正確な定義はできなくとも、概念をおぼろげには「知っている」はずだ。

 しかし、パラグラフとは何かを「知っている」人も、パラグラフが論理的な文章を書く上で必須の概念であることを「理解している」はほとんどいない。パラグラフを使わずに論理的な文章を書くことはまず無理だ。パラグラフはロジックの構成単位だから、パラグラフを使うことでロジックがしっかり組める。パラグラフは、トピックを述べる文とそのトピックをサポートする複数の文(=根拠)で構成するので、パラグラフを使うことで根拠をしっかり述べるようになる。パラグラフを使わない文章は、ロジックがいい加減で、根拠も希薄だ。

 仮に、パラグラフが論理的な文章を書く上で必須の概念であることを「理解している」人でも、「できる」わけではない。仕事をしながら「できる」ようになるには、私の経験上、最低3年はいるだろう。まあ、仕事をせず、大学の講義のように定期的に学ぶ時間が確保できればずっと短縮できる。それでも1年程度は必要だ。「できる」ようになることが難しいということは、パラグラフを説明している文章の多くが、パラグラフになっていないことでも分かる。

 なのに、「知っている」だけで満足する人は多い。私のロジカルライティング講座を2回受講した人はほとんどいない。私は、習得するために同じ講座を何度も受講した。より実践的な上級の講座を希望する人も会社もほとんどない。

 結局、「知っている」だけで、「できる」人はほとんどいない。
知識は思考を妨げる
 知識は思考を妨げる。人は、知っていることでその場をしのごうとします。考えなくなってしまいます。

 ビジネス経験が豊富だと、知識に頼る傾向が高まります。この場合は、こう対応するとよいということを知識と知っているからです。よりよい対応策を考えなくなります。それでも、その場はとりあえずしのげますから。

 しかし、考えないなら、生き残ることは難しいです。知識なら、他社の人も同じように持っていると考えるべきです。他社と同じ対応をとるなら、他社と同じ成果しか出ません。新たな手法を考え出したものに負けることになります。

 もちろん考えるにも知識は必要です。知識なしに考えることはできないでしょう。知識がないなら、考えることすらおぼつきません。知識を習得することも必要です。

 だから、知識と思考のバランスが大事なのですが、知識をほしがり、思考しない人は多いです。先日、論理的思考講座をやりました。講座の途中で思考することあきらめる人がいます。質問すると、即座に「わかりません」と答えます。

 思考することが大事で、正解を得ることが大事なのではありません。課題の正解例を覚えても何の役にも立ちません。なぜなら、その課題と同じことが、受講者のビジネスの現場で起こることはないからです。大事なのは、正解を導くことではなく、考えること。考える習慣を持つこと。

 残念なことに、考えずに知りたがる人が多いです。


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

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