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Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
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主張には根拠が必要
 主張を述べたら根拠が必要です。しかし、根拠無く主張する人は、知識人にも結構います。根拠を持った主張するためにも、パラグラフという概念は重要です。

 知識人の書いた本であっても、根拠ない主張をよく目にします。たとえば、齋藤孝明治大教授は、週刊ダイヤモンド(2005.6.11)の「説得力」記事の中で、「ディベートでは往々にして、立場を変えていかようにでも議論できることを求める。しかし、自分の価値基準を離れて論理構成をするという習慣を身につけるのは決して好ましくない。」とだけ述べて根拠は述べていません。なぜ、「好ましくない。」のかを述べていないのです。

 根拠なく述べてよい主張は、その主張を誰もが肯定する場合だけです。たとえば、「主張を述べたら根拠が必要です」や、「世界人類が平和でありますように」のような主張です。なぜ根拠が不要かといえば、根拠など述べなくても、主張を聞いた側は同意するからです。根拠は、同意してもらうための情報なのです。同意する人しかいないなら、根拠を述べる必要はありません。ですから、先の例でも、その主張に異論を唱える人を前提に述べるなら根拠が必要です。

 根拠なしに主張してしまう原因の一つが、パラグラフを使わずに文章を書いていることです。パラグラフを意識せずに、文章を文で書くと、1文だけでも次のトピックに移れます。主張だけでも文はつながるので、根拠を述べなくなります。1,2文で次々改行するような文章を書くと、根拠のない主張が登場します

 一方、パラグラフで文章書くと根拠述べずにはいられません。なぜなら、パラグラフはトピックセンテンス+サポートセンテンスで構成するからです。主張であるトピックセンテンスだけではパラグラフになりません。しかも、サポートセンテンスは4文程度は必要なので、必然的に根拠が厚くなります。文章を論理的にするためにもパラグラフは重要なのです。
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反論は、従来の主張を上回っていることを論証しなければならない
 新たなことを主張することで生ずる対立を買って出る(反論する)人もいる。しかし、日本人は議論の勉強をしていないので、反論にならない。反論するには、従来の主張より自己の主張が上回っていることを論証しなければならない。

 反論する上で最初に確認すべきは、反論の対象である主張は立証できているのかだ。立証できていない主張に反論してはいけない。まずは、立証責任が果たされていることが、反論する第一条件だ。広く広まっている考え方などは、立証責任は果たされていると考えてよい。

 反論するなら、以下の2つのパターンになる。
1.従来意見にはメリットはない(あっても無視できるほど小さい)。一方で、深刻なデメリットが生じる。
2.従来意見にはメリットはあるが、デメリットの方が大きい

 この2つのパターンを、「出入国管理法改正」を例に説明しよう。与党側の主張は、「出入国管理法改正により、外国人労働者が増えるので、深刻な労働者不足を緩和できる」である。この主張は、立証責任が果たされているとしよう。

 この主張に対する反論は、以下のようになる。
1.出入国管理法改正により、外国人労働者が増えるが、深刻な労働者不足には焼け石に水である。一方、犯罪増加などのトラブルが増える。
2.出入国管理法改正により、深刻な労働者不足を緩和できるが、犯罪増加などのトラブルが増える方が、より深刻な問題である。

 このとき反論する側は、以下のことを論証しなければならない。
1.「出入国管理法改正による外国人労働者の増加は、深刻な労働者不足には焼け石に水であること」&「犯罪増加などのトラブルが増えること」
2.「深刻な労働者不足を緩和できことより、犯罪増加などのトラブルが増える方がより深刻であること」

 ところが、議論を知らないと、「メリットは認めるが、デメリットがある」と述べてしまう。つまり、「犯罪増加などのトラブルが増える」ことだけを論証してしまう。これでは反論にならない。反論するには、デメリットがメリットを上回ることは論証しなければならない。この論証は、反論側の責任だ。

 この、「メリットは認めるが、デメリットがある」と述べて反論した気になっている人は、知識人にもよく見られる。たとえば、新聞に記載されている大学教授の意見文などだ。「昨今、こういう傾向がある。確かにこんなメリットがあるのだろう。しかし、こういう問題が生じる」では、反論にはならないのだ。

 正当な反論であっても、説明の仕方が不十分だと、がっかりしてしまう。
対立を避ける人が多い
 新たなことを主張することで生ずる対立を避ける人は多い。しかし、それでは進歩はないし、自己否定にもなる。

 対立を避けるとは、「AではなくBだ」と述べるのではなく、「Bもある」とだけ述べるだ。しかも、「Aに加えて」とすら述べない。「Aに加えて」と述べてしまうと、二者択一になった場合、間接的に「AではなくBだ」と述べたのと同じになるからだ。Aについては全く触れないで説明するのだ。

 対立を避けることについて、宇佐美寛氏はその著「新版 論理的思考」で以下のように述べている。
「これらの論文のほとんどは、その筆者自身が他の研究者と違って何を明らかにし得たのかが、どう読みなおしても、書かれていないのである。これらの論文は、先行研究に対する批判や新たな結論の主張をするために書かれているのではないようである。」

 対立を避けるのは、その世界で生きていくための知恵かもしれない。従来を否定することは、自分の師や業界の重鎮に牙をむくのも同然だ。論理的に正しくても、権力によって自らが抹殺されてしまう可能性は高い。必然的に対立に対して腰が引ける。

 しかし、対立を避けていては進歩はない。「Bもある」では、Aに代わってBが採用されることはない。Bが採用されるには、Aより優れていなければならない。明らかに優れていると論証できないなら、現状のAのままだ。「AではなくBだ」と述べてはじめてBは採用される。

 また、対立を避けていては自己否定になる。Aより優れているからBを主張するのだ。そこをごまかすなら、何のためにBを立案したのだ。自分の考えを自己否定するに等しい。

 私は、対立を避けるのが嫌いだったので、サラリーマンを続けることをやめた。
新たなことを主張すれば対立を生む
 新たなことを主張すれば、必ず対立を招く。この対立を乗り越えてこそ進歩がある。しかし、この対立は、主張をする側にとっては大きな負担で、避けたくなる。

 従来と異なる主張をすることは、従来を否定することになる。たとえば、「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張すれば、従来の「受動態を避けるべき」という広く受け入れられてきた主張を否定することになる。

 従来を否定することについて、宇佐美寛氏はその著「新版 論理的思考」で以下のように述べている。
「印刷して他人に読ませる論文である以上、述べられている筆者の考えが、それ以前にあった他人の研究とは対立し、それらを批判し、それらにまさっている点を明らかにしていなければならない。」

 従来を否定するのだから、弟子は師を否定することになる。弟子は、師が時間をて得た知恵やスキルを、ずっと短い時間で教えてもらえるのだ。その分、弟子には時間がある。弟子には、師を乗り越えていくべき義務がある。だから、師の不十分な部分を見いだし、その部分を克服しなければならない。仮に、不十分なところを見いだしたことで師が怒り狂ったとしても。

 しかし、従来を否定すれば対立を招く。従来の立場に立っている人がいるからだ。先の「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張する例で言えば、「受動態を避けるべき」と信じていた人がいる。さらには、「受動態を避けるべき」と指導している人がいる。新たな主張が、自分の利益や立場を脅かすことになるなら、その対立は激化する。

 この対立は大きな負担だ。なぜなら、多くの場合、従来の立場に立っている人の方が、社会的な立場が上であり、しかも多数派だからだ。だから、従来の立場のものは、新しい主張を、社会的な圧力や数の力で葬り去ろうとする。これに対して、主張する立場は、論理でのみ勝負するしかない。多くの場合、論理より権力や数が勝つ。
反証責任
 立証責任が果たされた意見には、相手側に反証責任が生じます。立証責任と反証責任の概念が理解できて始めて議論が成立します。

 反証責任とは、立証された意見には反論する義務が生じるという考え方です。この義務を果たさないなら、つまり反論しないなら、相手の意見を認めたことになります。つまり、沈黙は了承だということです。裁判でも、原告側が立証責任を果たせたなら、被告の黙秘は役に立ちません。

 この反証責任は、生じたらすぐに果たさなければなりません。沈黙によって暗に了承を示しておきながら、あとから反論してはいけません。後になって蒸し返しをすると、アンフェアのそしりを受けます。

 さらに、反証責任を果たされた意見(=反論)には、また反証責任が生じます。反論に対しても沈黙は了承です。すぐにまた反論する義務が生じるのです。

 この立証責任と反証責任の概念が双方にあって議論が成立します。立証責任を知らなければ、意見に根拠をつけようとしません。これでは議論になりません。反証責任を知らなければ、根拠を持って述べられた意見が無視されることになります。これでは議論になりません。

 しかし、残念ながらほとんどの人はこの概念を知りません。だから議論になりません。その場合、私は議論をやめて話題を変えます。


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

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