FC2ブログ
Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
01 | 2019/02 | 03
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 - -

論理的とは何か
偶然、「論理的とは何か」について考える機会が2度ありました。1つは、向後ゼミ研究発表会での「中高生の論理的文章作成における型の指導とピア・レスポンスの効果」という論文発表です。もう1つは、「論理的な話し方を身につけるコツ【ロジカルって何?】」(下記URL)という記事です。
http://www.n-links.co.jp/web/nblog/book/ronritekinahanasikata/?fbclid=IwAR3w0ulHHyzH363Tf2puWRDKhTmG4td8ckmmj7v-5ekLFHL9YsDrvSN8fW8

 論理的であることを論じるには、「論理的とは何か」を定義すべきです。世の中には、「論理的な」と謳う本や講座、記事が溢れています。しかし、この「論理的な」はいろいろな意味に使われています。だから、使う人によってかなり意味が異なります。そこで、「ここでは、論理的であるということを、こう意味でとらえている」という定義がほしいのです。人によって異なる解釈を、その場だけでもよいから、限定してほしいのです。(まあ、そう考え始めたのは、7年くらい前と、結構最近ですが)

 「中高生の論理的文章作成における…」という論文では、「論理的」を「三角ロジックに基づく状態」と定義しているようでした。つまり、三角ロジックの基本形である、主張、データ、理由付けができている状態です。この定義は、論文発表の場では、明確に言語化されていませんでした。しかし、発表内容を聞く限り、上記の定義と判断できました。

 定義の妥当性は二の次で、定義されていることが重要です。「ここでは、そういう意味で使う」と、ある程度妥当性のある定義を示してもらえば、その範囲で検討できます。逆に言えば、定義された意味以外は除外できます。「本当に、三角ロジックに基づく状態で文章を書けるようになるのか」を検証すればよいからです。「定義の妥当性は二の次」といいましたが、もちろん、ある程度の妥当性は必要です。

 一方、「論理的な話し方を身につけるコツ【ロジカルって何?】」という記事では、「論理的」を『「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」事』と定義してました(下記引用を参照)。
ーーー引用ーーー
論理的とは何か
メッセージ(伝えたいこと)を、「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」事が論理的であるとされています。

逆に論理的ではないことを把握しても、論理的の意味が見えてきます。

「論理的ではない」とは何か
反対に非論理的なものを上げると、

一貫していない
根拠がない
飛躍がある
言いっぱなし
感情的な主張
これらが含まれている時点で、論理性とは乖離してしまいます。
ーーー引用ーーー

 この定義には、妥当性がない(論理的ではない)ので認められません。なぜなら、「非論理的なもの」としてあげている5つの状態が、定義と整合しないからです。たとえば、「根拠がない」や「感情的な主張」は、定義である「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」のどれに反しているのでしょう?無理矢理関連づけようと思えばできますが、決して「明確に伝える」状態ではありません。

 このようないい加減な定義では、内容の検討ができません。なぜなら、「ゴールに向かって」「筋道立て」「明確に伝える」という観点で検討してよいのかかがわからないからです。この3つの観点で、論理的か非論理的かを検討するなら、定義の補足情報(「非論理的なもの」)が非論理的となってしまいます。これでは、定義の後に書かれている「論理的な話し方」も「セルフディベート」の内容も、論理性を検証できません。

 さらには、おまけで加えるなら、「非論理的なもの」としてあげている5つの状態が正しく並列できていません。まず、この5つは互いに重複しています。たとえば、「根拠がない」=「言いっぱなし」=「感情的」なのではないでしょうか。さらに、上4つは形容詞句ですが、最後の1つは名詞句です。

 ちなみに、私は、自分の講座(ロジカルライティング講座)の冒頭で、「この講座における論理的とはこういう意味です」と定義して始めます。
スポンサーサイト
クリティカルシンキング講座の体験報告(4)
 先日、グ〇ービス社のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第四弾(最終回)。

 「枠組みで考える」という項目で、講師は「野球の功走守」を例に挙げたが、「功走守」はMECEではない。「功」と「守」でMECEだ。「功」の中が「打」と「走」に分かれるのだ。有名なフレームワークが、必ずしも上手にMECEになっているとは限らない。

 この講師は、クリティカルにシンキングできない。クリティカルシンキングとは、直訳すれば「批判的思考」だ(危機的思考ではない)。つまり、鵜呑みにせず、疑ってかかれということだ。仮に対象が、大学教授の意見だろうが、名著の誉れ高い書物の内容だろうが、有名なフレームワークだろうが。

 私がクリティカルシンキングに本格的に触れたのは、20年前の下図の書物。この本は、当時ディベートを勉強している人たちの間で、相当話題になった。この後、「実践編」が出るのが待ち遠しかったものだ。まあ、「実践編」は、期待が高かっただけに、ちょっと期待外れではあったが。

 ちなみに、私は(極まれだが)著作にサインを求められたとき、サインと一緒に「本に書いてあることを鵜呑みにするな」と書く時がある。

critical thinkinb

クリティカルシンキング講座の体験報告(3)
 先日、グ〇ービス社のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第三弾。

 第二学習ポイントの「枠組みで考える(フレームワーク思考)」で、「A事業に進出したい。どんな点を押さえるか?」というテーマが出た。グループワークでの討議となる。

 まず、出題がアバウトすぎて、何を討議すればよいのかわからない。フレームワーク思考の勉強だから、メンバーからはいくつかのフレームワークが示された。何を深めてよいかわからない。
 3C(Customer, Company, Competitor)
 4P(Place, Price, Product, Promotion)
 SWOT分析
 人、モノ、金、(情報)

 ここで、講師が「儲かるか?」以外の視点はないかと指摘してきた。つまり、「儲かるか?」とは別の視点でフレームワークを作れということだ。

 私は、以下の3つの視点を示した。この3視点はいいフレームワークと思う。実際、多くの企業の基本方針は、この3つでできている。
1.お客様のため(=会社利益)
2.社会のため
3.従業員のため

 講師の出してきたフレームワークは以下の3つだった。
1.儲かるか?
2.自社ができるか?
3.自社がやるべきか?

 この答えに私はかなり不満だ。なぜなら「儲かるか?」は「自社ができるか?」を完全に含んでいる。この場合、「儲かるか?」の主語は「当社」に決まっている。「儲かる」=「自社ができる」に決まっている。これではフレームワークにならない。

 講師は、フレームワーク思考を正しく理解しているのか?
それとも、私が何か勘違いしているのか?
クリティカルシンキング講座の体験報告(2)
 先日、グ〇ービス社(この伏字じゃあ、どこだかまるわかりだ)のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第二弾。

 この体験講座では、次の3つを学んだ(詳細は省略)。
1.分解して考える(モレなくダブりなく=MECE)
2.枠組みで考える(フレームワーク思考)
3.価値ある解釈をする(データに意味ある解釈をつける)

 気になるのは、この3項目がMECEでもなければ、フレームワークで思考されてもいないことだ。これでは、指導する内容が機能しないことを自己証明してしまう。「この3項目を勉強しても、実践では使わないよ」といっているのと同じだ。この3項目が重要なら、なぜこの講座は、この3項目をベースに組み立てられていないのだろう。

 同様のことは、多くの講座やビジネス書で見受けられる。たとえば、私の専門であるライティングでは以下のようなことがよくある。
 ・「ポイントを先に書く」と指導している本のポイントが前に書いていない
 ・「起承転結で書く」と指導している本が起承転結に書かれていない
 ・「例を挙げずに理屈を述べるな」と指導している本が、根拠も事例も挙げず主張している

 では、どう改善すればよいか? 自分なりの改善案を示そう。

 クリティカルシンキングをMECEに定義した上で、各要素ごとに代表例を取り出すのだ。たとえば、クリティカルシンキングは、AとBとCができている状態(このA、B、CがMECE)と定義する。ここで、Aからは代表的な考え方としてaを、Bからはbを、Cからはcを取り出して説明する。a,b,cはMECEになっていないが、おおもとがMECEだから、論理的な説明にはなる。

 より具体的には、私は、論理的であることを、「ロジック構築とロジック論証が正しくなされている状態」と定義している。ロジック構築とは、ロジック構成要素を縦と横で正しく接続することである。ロジック論証とは、ロジック構成要素が十分に論証されていることである。(これ以上の詳細はここでは省略)

 こう定義した上で、定義と指導項目を以下のように関連づける。
・ロジック構築の縦接続 → (今回の講座では学習項目がない)
・ロジック構築の横接続 → MECEやフレームワーク
・ロジック論証 → 価値ある解釈をする

 論理的であることの定義の正誤は別として、このように構成されていれば、論理性が生じる。逆に、このような説明ができないなら、大して重要でもないことを指導している可能性も否定できない。
相関関係=因果関係 ではない
ある講座で、女性の就業率が高いと、一人あたりのGDPが高くなるというデータが示された。講師は、「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」ことを匂わせていた。しかし、相関関係すなわち因果関係ではない。

 このケースで、私が疑ったのは因果の逆転だ。一人あたりのGDPが高いから、女性が働ける職場も生まれるのではないか。あるいは、子供を預けて働ける環境も構築できるのではないだろうか。分かりやすい例を挙げよう。例えば貧困国。仕事は少なく、あってもきつい。働くのは男性ばかりで、女性が入る余地は少ない。貧しい国では、子供を預けて働ける環境もない。

 データをより細かく見ると、一人あたりのGDPが高い国は、北欧に多い。北欧の国々の生産性が高いのは、比較的恵まれた国土(地下資源や平野が多い)を少数の国民で維持しているからだ。ネットで検索しても、女性が活躍しているからという論調は見ない。

 そもそも、女性の就業率が高いことが、一人あたりのGDPを高めるなら、男性より女性のほうが生産性が高いことになる。これが、総GDPが高いなら、労働数が多いほど高くなるので、女性の就業率が高いことが有利に働く。しかし、このデータは一人あたりのGDPだ。男性より女性のほうが、明らかに生産性が高いとなると、多くの人の実感とは、ずれるのではないだろうか。

 断わっておくが、私は、「女性は生産性が低い」とか、「女性の就業率を上げることは意味がない」とかを言っているのではない。このデータから、「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」とは言えないと言っているのだ。「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」と言いたいなら、別のデータを持ってこいと言っているのだ。学者が、いい加減なデータで、証明できないことを匂わせるのはいかがなものかと言っているのだ。

女性の就業率とGDP



プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム