Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
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相関関係=因果関係 ではない
ある講座で、女性の就業率が高いと、一人あたりのGDPが高くなるというデータが示された。講師は、「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」ことを匂わせていた。しかし、相関関係すなわち因果関係ではない。

 このケースで、私が疑ったのは因果の逆転だ。一人あたりのGDPが高いから、女性が働ける職場も生まれるのではないか。あるいは、子供を預けて働ける環境も構築できるのではないだろうか。分かりやすい例を挙げよう。例えば貧困国。仕事は少なく、あってもきつい。働くのは男性ばかりで、女性が入る余地は少ない。貧しい国では、子供を預けて働ける環境もない。

 データをより細かく見ると、一人あたりのGDPが高い国は、北欧に多い。北欧の国々の生産性が高いのは、比較的恵まれた国土(地下資源や平野が多い)を少数の国民で維持しているからだ。ネットで検索しても、女性が活躍しているからという論調は見ない。

 そもそも、女性の就業率が高いことが、一人あたりのGDPを高めるなら、男性より女性のほうが生産性が高いことになる。これが、総GDPが高いなら、労働数が多いほど高くなるので、女性の就業率が高いことが有利に働く。しかし、このデータは一人あたりのGDPだ。男性より女性のほうが、明らかに生産性が高いとなると、多くの人の実感とは、ずれるのではないだろうか。

 断わっておくが、私は、「女性は生産性が低い」とか、「女性の就業率を上げることは意味がない」とかを言っているのではない。このデータから、「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」とは言えないと言っているのだ。「女性が活躍することが社会の生産性を上げる」と言いたいなら、別のデータを持ってこいと言っているのだ。学者が、いい加減なデータで、証明できないことを匂わせるのはいかがなものかと言っているのだ。

女性の就業率とGDP

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「労働時間が長くなると、生産性が下がる」か?
 ちょっと、バタバタしていたので、久しぶりの投稿です。

 働き方改革と言うことで、長時間労働を是正しようという動きがある。この話の中で、因果を取り間違えているのではないかと思う説明を見かける。

 改革推進派は、「労働時間が長くなると、生産性が下がる」と主張する。たとえば、「種の起源」で有名なチャールズ・ダーウィンや、「19世紀最高の数学の天才」と言われるフランスの数学者アンリ・ポワンカレは、4時間しか働かなかったと。あるいは、週60時間以上働く人は、生産性が低いというデータがあるとか。だから生産性を高めるには労働時間を減らしたり、適度に休息を取ったりすること重要だというわけだ。

 しかし、因果の取り間違え、つまり、「生産性が低いから、労働時間が長くなっている」と言えないだろうか。4時間しか働かなかったから、天才的な成果を残したのではなく、天才だから4時間しか働かなくても成果が出たのではないのか。生産性が低いから、週60時間以上働かねばならにではないのか。労働時間を減らしたり、適度に休息を取ったりすれば、さらに生産性の低下を招かないか。

 断っておくが、「労働時間が長くなると、生産性が下がる」ことを否定しているのではない。示されたデータでは、「労働時間が長くなると、生産性が下がる」ことを論証できないと言うことだ。「労働時間が長くなると、生産性が下がる」ことを論証するには、別のデータを示す必要があると言うことだ。たとえば、ある作業を長時間だらだら続けた場合と、短時間で集中した場合で、短時間でやった方が作業の質や量が優れていることを示すデータだ。

 正直、「労働時間が長くなると、生産性が下がる」に、私は懐疑的だ。長時間労働している人は、仕事が終わらないので長く働いているのだ。短い時間で同じ質の仕事ができるとは思わないだろう。その仕事がきわめてクリエイティブなものであれば、短い時間で高い質の成果を出すこともあるだろう。しかし、そんなクリエティブナ仕事ばかりしている人は、日本にはほとんどいないだろう。

 因果の取り間違えは、結構やりがちな落とし穴だ。
成功者に学ぶのは危険
 ビジネス書の多くで、成功者がいかに成功したかを説明し、その成功の秘訣を学ぼうとする。しかし、成功者に学ぶのは危険な思想だ。

 成功者(=勝者)の陰に、無数の敗者がいることを忘れてはならない。成功者が、敗者のやっていないことをやって勝者になったかどうかはわからない。もしかすると、勝者も敗者も同じことをしたのに、才能や運で勝敗が付いたのかもしれない。しかし、敗者が何をやったかは分からない。表舞台には登場しないからだ。

 たとえば、豊臣秀吉が、織田信長の草履を懐で温めていたのを評価されて出世のきっかけをつかんだ話は有名だ。では、豊臣秀吉だけが、織田信長の草履を懐で温めていたのか?同じことをやっても、親方に気が付かれなかったもの、尻にひいていたと勘違いされて切り殺されたものが山ほどいるかもしれない。しかし、成功しなかったものは出世しないのだから、記録には残らない。

 同様に、「あきらめなければ夢はかなう」と、安直に述べてほしくはない。そりゃあ、成功したあなたは、あきらめなかったから成功したのだろう。しかし、その成功の裏には、多くの人間の夢を踏みつぶして成功してきたのだ。圧倒的多数の人間は、夢をあきらめなかったがかないはしなかったのだ。

 成功者の裏にいる無数の敗者のことを忘れてはならない。
母語と論理的思考
 母語が不十分だと、論理的思考にマイナスだという説を聞いたことがある。これは本当だろうか?

 母語が完成しないと、論理的に思考しづらくなるという。だから、私が聞いた話では、海外駐在中の日本人の親に対して、現地の学校は家庭では日本語を使うように勧めるという。英語は学校で身に付くから家庭でやる必要はないとのこと。むしろ、家庭で母語をしっかりと身につけてほしいと。この俗説は、けっこうよく聞く。

 私にはこの説は、根拠が不十分に感じる。なぜ、母語か完成しないと、論理的に思考しづらくなるのだろう。言葉の微妙なニュアンスは、文学的には意味があるが、論理的思考に影響する意味が分からない。もっと具体的に説明してほしい。

 私が考える根拠は、母語が完成しないと、論理的に思考するのが面倒になるということだ。論理的に思考する時、言語化して根拠を考える。このとき、言語がすっと出ないなら、考えるのが面倒だ。深く考えるのが面倒だから、いい加減な思考になるだろう。これなら、根拠としてまだ理解できる。

 これが根拠なら、考えるのが面倒にならない程度に言語をマスターしているなら、それで十分ということになる。母語が十分完成していなくても、思考を簡単に言語化できる程度にマスターしていれば十分だ。母語の微妙なニュアンスの区別は不要だし、母語の背景にある文化も理解している必要はない。

 さて、母語が不十分だと、論理的思考にマイナスだということは、もっともらしい根拠で説明されているのだろうか?
論理的思考は学習では身につかない?
感情(価値観)は論理では説得できない。さらに、価値観は、その人の人生そのものなのでほとんど変わらない。ならば、論理的思考は学習では身につかないかもしれない。

 価値観は論理では説得できない。美味しいや不味い、楽しいやつまらない、腹が立つかどうか、などは個人の価値観だ。「苦いから不味い」と思う人を、「苦いからうまい」と論理的に説得することはできない。

 この価値観は、まず変えられない。味覚などは持って生まれた場合もある。他の価値観は、その人の人生経験で決まっていることもあるだろう。生まれ持ったものや長い間に積み上げられたものが、短時間で一転することはまずない。

 一方で、論理的思考力を手にするには、論理的に思考する癖が必要だ。考えた時間が長いほど知的に成長する。考えなければ、脳は錆る。考えるのが嫌いなものは、知識を記憶することで逃げようとする。

 となると、論理的に考えることを楽しいと感じられないなら、そういう価値観を持てないなら、論理的思考力は手に入らない。論理的に思考する癖をつけるには、論理的に思考することが楽しくなければ無理だ。楽しくないことを続けられるはずもない。楽しくないと思う感情や価値観を、楽しいに変えることはほぼ不可能だ。

 結局、感情を論理では説得できない以上、論理的思考は論理では身につかないことになる。

 こんなことを考えることが楽しくなくては、論理的思考力は手に入らない。


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

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