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Logical Skill の深い話
Logical Skill (特にLogical Writing) について、著書(たとえば、「論理が伝わる世界標準の書く技術」講談社)には書かなかった、より深い話を紹介します。
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新たなことを主張すれば対立を生む
 新たなことを主張すれば、必ず対立を招く。この対立を乗り越えてこそ進歩がある。しかし、この対立は、主張をする側にとっては大きな負担で、避けたくなる。

 従来と異なる主張をすることは、従来を否定することになる。たとえば、「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張すれば、従来の「受動態を避けるべき」という広く受け入れられてきた主張を否定することになる。

 従来を否定することについて、宇佐美寛氏はその著「新版 論理的思考」で以下のように述べている。
「印刷して他人に読ませる論文である以上、述べられている筆者の考えが、それ以前にあった他人の研究とは対立し、それらを批判し、それらにまさっている点を明らかにしていなければならない。」

 従来を否定するのだから、弟子は師を否定することになる。弟子は、師が時間をて得た知恵やスキルを、ずっと短い時間で教えてもらえるのだ。その分、弟子には時間がある。弟子には、師を乗り越えていくべき義務がある。だから、師の不十分な部分を見いだし、その部分を克服しなければならない。仮に、不十分なところを見いだしたことで師が怒り狂ったとしても。

 しかし、従来を否定すれば対立を招く。従来の立場に立っている人がいるからだ。先の「能動態か受動態かは、何を中心(=主語)に書くかで自然と決まる」と主張する例で言えば、「受動態を避けるべき」と信じていた人がいる。さらには、「受動態を避けるべき」と指導している人がいる。新たな主張が、自分の利益や立場を脅かすことになるなら、その対立は激化する。

 この対立は大きな負担だ。なぜなら、多くの場合、従来の立場に立っている人の方が、社会的な立場が上であり、しかも多数派だからだ。だから、従来の立場のものは、新しい主張を、社会的な圧力や数の力で葬り去ろうとする。これに対して、主張する立場は、論理でのみ勝負するしかない。多くの場合、論理より権力や数が勝つ。
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図表はどこで参照する
 図表番号を参照するとき、文頭側に示しますか?文末側に示しますか?私は、文末側です。

 実は、ライティングの本で、このことに言及しているのを、私は見たことがありません。テクニカル・ライティングの世界では、重要ではないとして無視されているのかもしれません。あるいは、どこで述べるかは、習慣上の常識で説明する必要がないのかもしれません。

 私は、文末で示します。なぜなら、主張から根拠の流れが、テクニカル・ライティングでは常識だからです。つまり、まずポイントを述べ、それからデータです。図表はデータなので、主張の後です。図表で伝えたいことを先に述べ、それからデータである図表を示すべきと考えます。

 私は自分の意見を論証するために、このことを調べたことがあります。本には記載が見つからないので、実際はどう書かれているかを調べたのです。調査は、以下の2種類。
 1.学会論文(英語圏)はどちらで書かれているか
 2.テクニカル・ライティングの教科書ではどちらで書かれているか

 学会論文の実績を調べたところ、約10倍の頻度で文末派でした。科学雑誌のネイチャーの論文を数百件をテキストデータとして持っていました。そこで、このデータをプログラム処理して調査しました。その結果、圧倒的に文末派でした。

 テクニカル・ライティングの教科書を目視でチェックした結果、文末での表示しかありませんでした。調査したのは数冊ですから統計的な信頼はありません。しかし、ライティングの専門家が、文末にしか図表を持ち出さないなら、かなりの信頼性はあると思います。

 さて、あなたはどちら派
反証責任
 立証責任が果たされた意見には、相手側に反証責任が生じます。立証責任と反証責任の概念が理解できて始めて議論が成立します。

 反証責任とは、立証された意見には反論する義務が生じるという考え方です。この義務を果たさないなら、つまり反論しないなら、相手の意見を認めたことになります。つまり、沈黙は了承だということです。裁判でも、原告側が立証責任を果たせたなら、被告の黙秘は役に立ちません。

 この反証責任は、生じたらすぐに果たさなければなりません。沈黙によって暗に了承を示しておきながら、あとから反論してはいけません。後になって蒸し返しをすると、アンフェアのそしりを受けます。

 さらに、反証責任を果たされた意見(=反論)には、また反証責任が生じます。反論に対しても沈黙は了承です。すぐにまた反論する義務が生じるのです。

 この立証責任と反証責任の概念が双方にあって議論が成立します。立証責任を知らなければ、意見に根拠をつけようとしません。これでは議論になりません。反証責任を知らなければ、根拠を持って述べられた意見が無視されることになります。これでは議論になりません。

 しかし、残念ながらほとんどの人はこの概念を知りません。だから議論になりません。その場合、私は議論をやめて話題を変えます。
立証責任
 立証責任という概念を理解できていて、初めて議論ができる人になれると言える。

 立証責任とは、「言い出した側に、その言い正しいことを論証する責任がある」という考え方だ。逆に言えば、言われた側には、その主張が成立していないことを論証する義務はないと言うことだ。たとえば、「神は存在する」と主張するなら、存在することを論証するのは、「神は存在する」と主張した側だ。神が存在しないことを論証する必要はない。

 裁判でも、原告側が立証責任を追う。原告側が、被告が罪を犯したとか、被害を加えたことを論証しなければならない。被告側には無罪を立証する必要はない。だから、完全黙秘でも、原告が立証責任を果たせないと無罪となる。

 この立証責任は重い。何しろ被告しか知らないことが多数あるのだ。原告側が証拠を見つけ出すのは困難だ。たとえば、先の55歳の女性が敗訴した件、年齢によって差別を受けたことを論証するのは原告である女性側だ。しかし、女性側には、合否の基準も、面接の採点も知らされていない。この状況で差別を受けたことを立証するのは不可能だ。

 立証責任は重いので、一部の裁判はたいがい原告が負ける。たとえば医療過誤だ。医療行為にミスがあったことを、素人側が、医療データもなしに論証しなければならない。まず不可能だ。だから、医療過誤の裁判は、ほとんどが無罪判決になる。
立証責任
 立証責任は重いので、負う必要のない立証責任を負ってはいけません。逆に、立証責任を相手に押しつけると、議論を有利に進められます。

 立証責任は言い出した側が負うべきなので、言い出してもいないのに立証しようとしてはいけません。たとえば、「神は存在する」という意見を聞いて、「神は存在しない。なぜなら、」なんて言い出してはいけません。まずは、「神は存在する」と言い出した側の根拠を聞くべきです。

 しかし、議論が得意と勘違いしている人ほど、負う必要のない立証責任を負います。意見を述べたくてウズウズしているからです。相手が意見を言う時間を与えないくらいに、自らが意見を述べることが議論上手と思っているのです。

 本当に議論が上手な人は、自分が負うべき立証責任まで、相手に負わせてしまいます。自分が立証すべきことを相手に立証させ、相手がしどろもどろになって立証しているところで、突っ込みを入れるのです。本当に議論が上手な人はしゃべりません。

 立証責任を相手に負わせるコツは、「なぜですか?」と問うのです。「なぜですか?」と聞かれれば、たいがいの人はなぜかを答えます。なぜかを答えるのは、自分なのか、相手なのかは考えません。なぜかを答えてくれれば、立証責任は相手が負ったことになります。あとは、相手がしどろもどろになって立証しているところで、突っ込みを入れればいいのです。

例:
A氏:「当社はソフトウェア開発拠点を中国に移すべきです。なぜなら、…(根拠)。」
B氏:「なぜ、インドではなく中国なの?ソフトウェア開発ならインドが適切ではありません?」
A氏:「なぜなら、…」(負う必要のない立証責任を負っている)
立証責任
 立証責任があまりに重いので、その緩和を図ったのが製造物責任法(PL法)です。ある製造物で被害を受けても、ユーザーがその製造物の欠陥を立証することは不可能になってきました。なぜなら、製造物の電子化が進んだ結果、素人のユーザーは欠陥を見つけられないからです。そこで、PL法では、原告の立証責任を「想定しうる範囲の使用法で使用した結果被害を受けた」まで緩和したのです。製造物の欠陥の立証は免除したのです。

 気をつけたいのは、PL法では、「想定しうる範囲で使った」立証を求めていることです。つまり、正しい使い方でなくても、想定しうる誤用でもかまわないということです。たとえば、エスカレータのメーカーが、「エスカレータでは歩かないでください。歩くようには作られていません」なんて言っていますが、そんな言い分は裁判では通用しません。エスカレータの片側を歩くのは、「想定しうる範囲で使った」ことになるでしょうから。

 アメリカでは、PL法の訴訟で負けると莫大な補償金を取られます。補償金が莫大になるのは、懲罰的な罰金を含むからです。賠償金額が数億円ということはよくあります。しかも、敗訴の原因が注意表示が不十分だったからなんてのもあります。

 以下は、アメリカで起こった、賠償金目当ての裁判の例です。
・ぬれた飼い猫を電子レンジで乾かそうとしたところ、猫がレンジ内部で爆発して扉が吹っ飛び、飼い主がその扉でけがをしたのは、メーカーの注意表示が足りないからだ
・ドライブスルーでホットコーヒーを受け取ろうとしたところ、あまりに熱くて持ちきれずこぼしてやけどしたのは、店員が注意喚起しなかったからだ
・ハンバーガーの食べ過ぎで太ったのは、ハンバーガーチェーン店が注意喚起しなかったからだ
AI翻訳
 VoiceTraやGoogle翻訳のようなAIベースの翻訳でも、まだ不十分であることを指摘した。では、AIの進化とともに、近い将来十分な翻訳が出来るようになるのかというと、私は懐疑的だ。その理由は、フィードバックがないから。

 AIベースの翻訳では、意味を込めるような表現を翻訳するのが苦手だ。たとえば、以下のような文である。
「この装置は、赤外線センサーが内蔵されていて、障害物を認識できます。」
VoiceTraの英語
"This device is equipped with an infrared sensor and can recognize the obstacles."
Google翻訳の英語
"This unit has an infrared sensor built in, and it can recognize obstacles."

 この翻訳の問題は、「て、」を"and"と訳していることだ。この2つの文は、"and"(等位接続)では接続できない。なぜなら、前半の文は手段で、後半の文は行為だからだ。"and"で接続できるのは、手段と手段か、行為と行為だ。

 日本語の「て、」には、等位ではない別の意味が込められている。その意味を、2つの文の関係から、読み手側が読み取っているのだ。日本語では、このような意味を込めた接続がよく使われる。

 意味を込めない明確な日本語を入力すれば、AI翻訳は正しく翻訳(下記参照)してくる。
「この装置は、内蔵の赤外線センサーを使って、障害物を認識できます。」
VoiceTraの英語
“The device can recognize the obstacles by using an integrated infrared sensor.”
Google翻訳の英語
"This unit can recognize obstacles by using built-in infrared sensor."

 しかし、現実にはAI翻訳が、込めた意味を推測する必要がある。なぜなら、日本の教育では、「この装置は、赤外線センサーが内蔵されていて、障害物を認識できます。」は、不十分な文であるとは習わないからだ。ほとんどの人は、こういう文を、正しいと思って、ごく普通に書いてくる。AI翻訳のために日本語の再教育をするなら本末転倒だ。

 AI翻訳が、込めた意味を推測できるようになるには、誰かがフィードバックしてあげないとならない。つまり、「この翻訳ではだめで、こう意味をくみ取らないとならない」と、AIに教えてあげなければならない。AIが、「この英文で正しく翻訳できた」と思っている限り上達はない。

 しかし、このフィードバックは期待できない。なぜなら、AI開発者が現状の問題点(AIが文と文の接続を推測できない)ことに気がついていないからだ。AI開発者が「正しく翻訳できた」と思っている限り、いつまでたってもAIが文と文の接続を推測できるようにはならない。

 AIは自己学習すると思っている人もいるかもしれないが、こういうケースで自己学習は期待できない。自己学習というのは、囲碁や将棋の対戦で負けるというようなフィードバックをベースとしている。あるいは、膨大な情報から標準的傾向を読み取って学習する。しかし、翻訳の世界に勝ち負けはないし、意味を込めた表現が一般的だ。これではAIによる自己学習は期待できない。

 不十分だというフィードバックがかからない以上、AIが正しく翻訳できるようになるには時間がかかるだろうというのが私の予測である。
AI翻訳
 VoiceTraという同時翻訳アプリがある。VoiceTraとGoogle翻訳で同じ日本語を翻訳させてその精度を検証していみた。

 VoiceTraの精度は、TOEIC900点レベルだそうな。ポケトークという同時翻訳機(明石家さんまが宣伝している)のエンジンにもなっている。この翻訳アプリは、政府も導入に動いているという記事が朝日新聞に載っていた(情報提供は京都橘大学池田教授)。

 Google翻訳の精度は、このFBでも以前説明した。悪くはないが、不十分なことは多い。特に、主語の選択、時制、文の接続が不適切だ。

 具体的に見ていこう。

1.「この装置は、赤外線センサー が内蔵されていて、障害物を認識できます。」

VoiceTraの英語
"This device is equipped with an infrared sensor and can recognize the obstacles."

Google翻訳の英語
"This unit has an infrared sensor built in, and it can recognize obstacles."

コメント:
 VoiceTraではequipという動詞を使っていることが評価できる。Google翻訳ではhaveという口語調の稚拙な表現を使っている。しかし、どちらも文の接続がだめだ。日本語の「て、」はandではない。

2.「当社は懐具合が窮屈なため、10%の割り増し料を請求せざるを得ません。」

VoiceTraの英語
"We have to charge ten percent extra charge because our company is too tight."

Google翻訳
"We are forced to charge a surcharge of 10% because our business is cramped."

コメント:
 VoiceTraでは「せざるを得ません」を”have to”と適切に訳している。しかし、いずれも、chargeが重ね言葉になっているし、「懐具合が窮屈」を訳せていない。主語の選択も出来ていない。

総合評価:
 翻訳の質はVoiceTraが上だが、VoiceTraには文の長さに制限があるので、一長一短か。いずれにしろ、まだまだ不十分だ。TOEIC900点レベルとは言えまい。
スキルを向上させるには
 スキルの向上には、フィードバックが必要だ。しかし、フィードバックがなくても、ロジカルスキルは、思考次第で向上は可能だと思う。

 原則、スキルアップには、フィードバックが必要だ。自分の行動が、正しいか正しくないかのフィードバックがなければ、スキルの向上は難しい。たとえば、テニスで言えば、自分の打ったボールが相手コートに入るか、球速が速いか、返球しにくい場所にボールが入るかなどはすべてフィードバックだ。このフィードバックがあるからスキルは向上する。

 しかし、「先生」と呼ばれる立場の人(自分のその一人だが)には、フィードバックはかかりにくい。たとえば、大学の教授に向かって、「あなたの文章はわかりにくい」、「あなたのプレゼンは不十分だ」などと指摘する人はいない。これが会社なら、上司が指摘してくれることがあるだろう。しかし、「先生」と呼ばれる立場になると、まずフィードバックはかからない。

 だから、「先生」と呼ばれる立場の人で、基本スキルが不十分な人を見かける。もちろん、「先生」と呼ばれるぐらいだから、知識は豊富だ。しかし、文章やプレゼンのような基本スキルが怪しい人は多い。怪しいスキルなのに、だれも「分かりにくい」とは指摘してくれないので、十分なスキルを持っていると勘違いしている。たとえば、テクニカル・ライティングの知識が豊富で指導しているにもかかわらず、論理的でわかりやすい文章を書けない人を私は知っている。

 フィードバックがなくても、論理的なスキルについては、姿勢や考え方次第でスキルアップは可能だと思っている。姿勢とは、原理原則(知識)を守り通そうとすることだ。考え方とは、原理原則を守れないとき、なぜ守れないのか、守らなくていいのかを理屈で説明しようとすることだ。この姿勢や考え方を維持できれば、フィードバックがなくても、かなりスキルは向上する。

 たとえば、「起承転結で書く」で考えてみよう。「起承転結で書く」という原理原則を正しいと思うなら、自分の書く文章は、すべて起承転結を守らなければならない。もし守れないなら、なぜ守れないのか、守らなくていいのかを、根拠を持って説明しなければならない。この姿勢や考え方を維持できるかだ。

 論理が通るかを考えれば、論理的なスキルについては、フィードバックがなくてもスキルアップは可能だ。問題なのは、考えもせずに先人が述べたことを鵜呑みにする姿勢だ。
受動態か能動態かではなく、何を中心に述べるかだ
 以前にも書きましたが、受動態か能動態かは、何を中心に述べるかで決まるのです。「受動態は避ける」は古い理論です。

 たとえば、次の2つの文を比べてみましょう。
1.山田一郎氏は、1980年にABC社を設立しました。
2.ABC社は、1980年に山田一郎氏によって設立されました。

 この2つの文では、中心が異なります。1は、山田一郎氏について説明しているのです。2は、ABC社について説明しているのです。受動態か能動態かではありません。何について説明したかによって態は変わるのです。

 確かに、「受動態は避ける」と昔は言われていました。30年ほど前はこの考えが主流でした。しかし、今では、態は文の中心によって変わるが、テクニカル・ライティングの主流です。

 今だに「受動態は避ける」と主張してしまうのは、思考せずに鵜呑みにしているのです。「昔読んだ本に書いてあったから」という理由だけで、考えることなく鵜呑みにしているのです。なぜ、「受動態は避ける」べきかを、自分では考えていないのです。

 思考していない例を以下に示します。出典は『入門テクニカルライティング』(IT委員会 著)です。

---引用---
●受動文より能動文を
一般に受動文より、能動文の方が説得力があります。それゆえ、なるべく能動文を使用すべきです。
たとえば、
[PrintScrn]キーが押されると、画面表示がプリンタに出力される。
という文章は、次のように書換た方がよいでしょう。[PrintScrn]キーを押すと、画面表示がプリンタに出力される。
---引用---

 「受動文より、能動文の方が説得力があります」って根拠は?なぜ、受動文より能動文の方が説得力があるのでしょう。私は、受動文より能動文の方が説得力があるなんて感じたことはありません。根拠が根拠になっていないのは、思考できない人の特徴です。

 この書き換えの例文は、なぜ、文の後半も能動態にしないのでしょう。文の前半は能動態ですが、文の後半は受動態です。自分が示した例文が、自分の主張と矛盾していることに気づいていません。

 書き換えの例文のほうが説得力があるのでしょうか?2つの文をどう感じるかは別として、説得力があるとは感じられません。このことは、根拠を述べるまでもなく、多くの方が同様の感想を持つでしょう。ならば、「受動文より、能動文の方が説得力があります」という根拠が。根拠になっていないことを自己証明してしまっています。

 この2つの文は、文の中心に何を置くかで、両方ともアリです。「[PrintScrn]キーが押されると、画面表示がプリンタに出力される」は、ソフトウェア開発者が中心に置かれているのです。一方、「[PrintScrn]キーを押すと、画面表示がプリンタに出力される。」は、ソフトウェアユーザーが中心に置かれているのです。どちらが良いか悪いかではなく、誰に向かって書いているかです。
代名詞は使わない
 テクニカル・ライティングの考え方の一つに、「代名詞は避ける」というのがあります。しかし、論理的な文章を書くことを生業にしている人でも、このルールを守れないことは多いのです。

 論理的な文章では代名詞は避けます。代名詞というのは、「これ」「それ」「あれ」です。これらの言葉は、何を差しているかが曖昧になるからです。曖昧でなくても、読み手に考えさせる時間を強いること自体が伝達性を下げてしまいます。

 そこで、代名詞の代わりに「この〇〇」という言い方をします。つまり、「この方針」とか、「この態度」のように使います。この言い方を「代示」と学びましたが、「代示」は広辞苑には載っていません。テクニカル・ライティングの世界における専門用語なのでしょうか。代示を使えば、指しているものが何かは明確です。

 ところが、論理的な文章を書くことを生業にしている人でも、このルールを守らないケースが多いです。文章書き方を論じた本でも、代名詞が使われているケースはよく見ます。あるいは、テクニカルライターの書いた解説書でも、代名詞を見ることがあります。

 ちなみに私は、代名詞は使いません。大量の文章を書くときでも、一切使いません。たとえば、一冊の本を書くにしても、一回も使いません。徹底しているので、代名詞を使う発想が自分にはないのです。
道順を説明する
 突然ですが、「下記の地図を参考に、『You are here.』から『Goal』までの道順を説明してください」と言われたら、どんな説明をするでしょうか?

 多くの人は、「この道を北にまっすぐ行って、突き当たりを左に」のように始めるのではないでしょうか?

 分かりやすい説明は、「Goalまでは、北西に歩いて十分ぐらいです。角を全部で三回曲がります。まず、この道を北にまっすぐ行って、」のように始めます。

 先に全体像を示すと分かりやすくなります。最初に、Goalへの方向と距離感を掴めます。1つめの角の説明の時には、全体の2-3割、3つめの角なら7-8割と当たりがつきます。絶えず全体像を頭に置きながら、今の説明が全体のどのあたりに相当するかを意識できます。また、この説明がどう続くかを予測しながら聞けるのです。

 一方、いきなりの詳細説明はわかりにくいです。3つめの角の説明でも、それが全行程の1割なのか9割なのかわかりません。この説明が、このあとどのくらい続くかも予想できません。全体が見えないまま、先が見えないまま、細かい話を聴き続けるのはつらいのです。

 しかし、人は、つい詳細から道順を説明します。なぜなら、説明する側の頭には、全体像があるからです。今、自分が全体のどこを説明し、あと何をどのくらい説明しないといけないかは、説明する側は知っているのです。だから、詳細から道順を説明しても、説明する側は何も困りません。

 発信者と受信者は持っている情報が違うのです。しかし、発信者側はそのことを気づかずに説明してしまうのです。最初に全体像やポイントを示すことは大事です。

 なお、この文章では意図的に、最初に全体像やポイントを示していません。その理由は、もちろん、最初の質問の効果的になるようにです。
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電子メールでも先頭には総論を書く
 私は、「文章の先頭でポイントを述べましょう」と指導しています。この考え方は、レポートはもちろん、電子メールでも同じことです。

 たとえば、週報のような電子メールでも、先頭にポイントを簡潔に述べるのです。週報のポイントというと、その週やった仕事の成果や、今抱えている問題点などです。このポイントを15秒ぐらいで読めるようにまとめます。

 週報の先頭にポイントがまとめてあれば、リーダーはそのポイントぐらいは読もうという気持ちが生じます。なにしろ、15秒ぐらいで読めるのですから、部下が10人いても、全部で3分かかりません。時間が許せば、あるいは問題を感じたら、詳細側まで読み進めばいいのです。

 この説明を聞いて、ある会社の研修担当が実行してみたら、上司が週報に返事をくれるようになったそうです。その返事は、簡単な指示や注意の場合もあれば、「困ったら聞きに来てください」というようなものもあるようです。たいしたコメントではないようですが、返事が来るようになったのです。

 おそらく、それまで上司は、週報を読んでいなかったのでしょう。それは無理もありません。詳細な進捗がダラダラ書いてある週報を、それも部下の人数だけ、丁寧に読むほど上司は暇ではありません。詳細ばかりが書いてあるメールは、多くの場合、読まれないのです。

 先頭にポイントを簡潔にまとめることで、読まれていなかったメールが読まれるようになったのです。
英会話の学習法
 友人のFaceBookに、20年以上前の話として、黒人は知的な英語を話せても日本では英会話の講師としての職が得られないという、差別の話が載っていた。それで思い出したことがある。25年ほど前、私が英会話を勉強していた頃、最も勉強になった英会話レッスンの講師が黒人だった。

 彼のレッスンには厳しい宿題が課せられていた。提供された英会話のテープ(当時はカセットテープ)を聴いて、その内容を文字に起こしてくるのだ。レッスンは週一回だが、18時からの2時間のレッスンに、1時間以上の予習が必要だ。しかも、レッスンの冒頭で、受講者どうしが聴き取ってきた英語を、英語だけを使って確認しあう。だから、宿題をやってこないと、冒頭の30分はレッスンに参加できない。

 厳しい宿題の結果、受講者みるみる減少した。20人近くいた受講者は、最後は私を入れて3人前後まで減った。そりゃあそうだ。当時は長時間労働が当たり前の世界。レッスンに参加するのだって大変だ。私だって、宿題を昼休みにやり、20時までレッスンを受けた後、22時まで仕事をしていた。

 しかし、残った受講者は全員、英会話力が向上したと感じた。スキル習得には、それなりの努力がいる。楽してスキルは身につかない。寝る間を惜しんで努力した人間だけがスキルを向上できるのだ。

 その後、彼がどうなったかは知るすべがない。20人近くいた受講者が3人前後まで減ったのだ。講師としての評価は低いだろう。職を失ったかもしれない。

 彼のプロとしてのプライドは、今でも心に残っている。
「が、」「り、」「し、」「て、」で文と文をつながない
「が、」「り、」「し、」「て、」で文と文をつないではいけません。

 文と文をつなぐ「が、」を使わないのは、順接と逆接の両方の意味が可能だからです(下記の例参照)。しかも、順接か逆接かは、「が、」以降を読まないと特定できません。それだけわかりにくく、読み手に負担のかかる表現なのです。
 順接:先日、A氏の還暦祝いの会が催されたが、B氏がそこで重大発表をした。(順接)
 逆接:先日、A氏の還暦祝いの会が催されたが、B氏は参加しなかった。(逆説)

 特に、順接の「が、」は使う意味がありません。使わないようにしましょう。私は、「生涯使うまい」と心に誓っているぐらいです。順接の「が、」を使った文は、使わない文に直せるのです(下記参照)
 例:先日、A氏の還暦祝いの会が催された。その会で、B氏は重大発表をした。
 例:先日催されたA氏の還暦祝いの会で、B氏は重大発表をした。

 同様に、「『り、』『し、』『て、』も使うな」と私は指導しています。これらの接続は、ほとんど場合、意味のない接続か、意味を込めた接続だからです。
 例:偽造写真広告は技術の責任でなく、ルール違反行為であって、技術と行為は明確に区別されなければならない。(切ればよいだけの意味のない接続)
 例:偽造写真広告は技術の責任でなく、ルール違反行為であって、技術ではなく行為の規制が必要となる。(原因結果という意味を込めた接続)

 この「『が、』『り、』『し、』『て、』で文と文をつながない」は、「一文一義」や「文を短く」と同意です。「が、」「り、」「し、」「て、」で文と文をつなぐから、一文多義になるのです。あるいは、文が長くなるのです。「一文一義」や「文を短く」のできていないサインが、「が、」「り、」「し、」「て、」なのです。私は、「一文一義」という抽象的なお題目も使います。しかし、より具体的に「『が、』『り、』『し、』『て、』で文と文をつながない」と強調します。

 ちなみに、上記の文章で「が、」「り、」「し、」「て、」で文と文をつないでいるところはありません(例文を除く)。
神は細部に宿る
 「神は細部に宿る」"God is in the Details" 例で紹介しよう。

 以下は、大学生の学力低下に関する原因分析である(内容はフィクション)
1.高校生の自宅での学習時間が年々減りつつある。
2.大学入試の科目が減って、高校での学習範囲が狭い。
3.大学の単位が簡単に取れるので、入学後に勉強しない。

 この3つの「不揃い」を探してもらうと以下のような指摘が上がる。これらの指摘は、もちろん正しい。
・1,2は高校だが、3は大学(時間の不揃い)
・1,3は勉強量だが、2は勉強範囲(責任主体が学生か、学校か)
・1,2は数値データを示せるが、3は「単位が簡単に取れる」を数値では示せない(定量的か、定性的か)

 私が注目するのは、読点の有無だ。1には読点がないが、2,3には読点がある。このことは、1は2,3に比べて文の構成が違うことを示している。文の構成が違うなら、並列として不十分だ。

 読点の有無をヒントに紐解くと、2,3は原因を2段で分析しているのがわかる。これに比べると、1は分析が浅い。2,3と並列するには、1も「自宅での学習時間が年々減りつつある」原因まで分析しなければならない。そこまでそろえて、初めて正しい並列と言える。

 この違いは、論理性だけではなく、パラグラフの内容に大きな影響を及ぼす。なぜなら、実際の文章は、この3つの文がパラグラフのトピックセンテンスとなるからだ。トピックセンテンスが不十分だと、その後に続くサポートセンテンスに影響が出る。

 この3つの理由が、それぞれパラグラフなら、パラグラフの中に以下のような情報を書くことになるだろう。
1.自宅での学習時間が年々減りつつあることを示すデータ
2.大学入試の科目が減ったことを示すデータと、高校での学習範囲が狭くなったデータ。
3.単位が簡単に取れることを示すデータ(単位が簡単に取れることを証明できれば、大学生が勉強しないのは自明だ)

 その結果、1と3は、学生が勉強しないという同じ指摘なのに、パラグラフの内容が大きく異なってしまう。読点一つないがしろにはできない。

 「神は細部に宿る」
代案の3条件
 代案は、下記の3つの条件を満たしていなければなりません。しかし、このことを意識できない人は多いです。
 1.原案と異なる
 2.原案より優れている
 3.原案とは同時に実行できない

1.原案と異なる
 説明するまでもなく当たり前です。原案と同じでは代案にはなりません。原案のわずかな改良では代案とは呼びません。

2.原案より優れている
 説明するまでもなく当たり前です。原案より劣っている代案を採用する意味はありません。

3.原案とは同時に実行できない
 原案と代案が同時にできるなら、「両方実行しましょう」となって、原案を否定できません。

 実は、「3.原案とは同時に実行できない」を意識できない人は多いです。

 たとえば、大阪市が、学力テストの結果を教師のボーナスに反映させる方針を出したときのことです。この方針に反対するあるグループが、「学力は貧困との相関・因果関係が強い。大阪は相対的貧困率のが全国でもワーストに近い。相対的貧困率の改善をすべきだ」と主張していました。「それでは、相対的貧困率の改善も図りましょう。学力テストの結果を教師のボーナスに反映させることもしましょう」と言われておしまいです。

 ちなみに、代案が「原案とは同時に実行できない」ことを立証するのは、代案を出した側です。言い出した側が立証責任を負うのです。ただし、同時に実行できないことが、言うまでもなく当たり前なら、立証する必要はありません。

 なぜ、「3.原案とは同時に実行できない」を意識できないかと考えると、言い出した側は代案を出した意識がないからかもしれません。先の例で言えば、大阪市の方針に反対するグループは、反論したのであって、代案を出したつもりではいないのかもしれません。

 もうすこし、議論を勉強してほしいものです。

 注)私は、学力テストの結果を教師のボーナスに反映させる方針に賛成しているのではありません。
文章とスピーチの違い(Part3)
 スピーチであるプレゼンテーションと文章では、説明をどう変えるべきか?のPart2。前回示した、スピーチとプレゼンテーションの違いのうち、「1.文章は記録に残るが、スピーチはその場で消える」と「4.文章はある程度の広範囲を見渡せるが、スピーチは話している部分しか意識できない」も、説明の仕方に、以下のような大きな差をもたらします。
1.全体での位置づけの把握容易さが違う
2.前後の接続関係の把握容易さが違う

1.全体での位置づけの把握容易さが違う
 全体像を述べてから詳細説明に移るとき、文章は全体像を頭に置きやすいのですが、プレゼンテーションは全体像を忘れやすいです。たとえば、「A,B,Cがある」と述べてからAを説明するときです。文章は全体像が詳細説明の前に書いてありますから、広範囲を見渡たすことで、全体像が確認できます。しかし、プレゼンテーションでは全体像が前のスライドに示されているので、詳細説明を聞いているときには、全体像がスライドに映っていません。今なされている詳細説明が、全体像のどこかが分かりにくくなります。

 そこで、プレゼンテーションでは、詳細説明をするときでも、全体像が目に映る工夫が必要です。A,B,CのAを説明するとき、A,B,Cという全体像を、小さく表示しておくのです。たとえば、Aのスライドの邪魔にならない部分(スライド右上)などです。

2.前後の接続関係の把握容易さが違う
 前後のトピックに接続関係があるとき、文章は前後の接続関係を確認しやすいのですが、プレゼンテーションは難しいです。接続関係があるとは、たとえば、原因と対策を述べたとき、対策が原因を正しく対応しているかということです。文章なら、前のトピックが直前に書いてありますから、広範囲を見渡たすことで、前後が確認できます。しかし、プレゼンテーションでは前のトピックが前のスライドに示されているので、次のトピックを聞いているときには、前のトピックがスライドに映っていません。今なされているトピックが、前のトピックを正しくヒットしているかが分かりにくくなります。

 そこで、プレゼンテーションでは、前後のトピックに接続関係があるとき、、対応関係が目に映る工夫が必要です。たとえば、前のトピックや図解を、次のスライドの邪魔にならない部分に小さく表示しておくのです。あるいは、前のスライドのキーワードを、次のスライドにそのまま持ち込むとか。

1.2は、なぜできない
 こういうことを意識できているプレゼンテーションを見ることはありません。なぜなら、プレゼンターは、全体像を絶えず頭に置けるし、前のトピックを意識しつつ次のトピックを説明できるからです。なにしろ、自分の作ったプレゼンテーションですから。しかし、初めて聴く聴衆からすれば、とても意識しきれません。
文章とスピーチの違い(Part2)
スピーチであるプレゼンテーションと文章では、説明をどう変えるべきか?前回示した、スピーチとプレゼンテーションの違いのうち、「3. 文章は読み方を受信者が決めるが、スピーチは受信者がコントロールできない」が、説明の仕方に、以下のような大きな差をもたらします。
1.並べる順が違う
2.最初と最後の重みが違う
3.説得のアプローチが違う

1.並べる順が違う
文章は重要な順が基本ですが、プレゼンテーションでは重要な情報を最後に出すときもあります。文章は、読み方を受信者が決めるので、最後まで読んでもらえる保証はありません。途中で読むのを止めてしまうかもしれません。しかし、確実に言えるのは、上から読んでいくということです。だから重要な順です。一方、プレゼンテーションは、最後まで聞くのが前提になりやすいです。なので、最後に重要な情報を出す戦略も使えます。

2.最初と最後の重みが違う
同じ理由から、文章は最初に大事な情報をまとめることが重要ですが、プレゼンテーションは最後のまとめも重要になります。文章では、最初に大事な情報をまとめるのです。最後まで読んでもらえると思ってはいけません。一方、プレゼンテーションは最後まで聞くのが前提ですから、まとめの重要性が増します。しかし、プレゼンテーションでも、いわゆる「つかみ」は重要です。

3.説得のアプローチが違う
説得するために、ステップバイステップに説明して、結論を最後にだけ述べたいならプレゼンテーションを使うべきです。文章で、ステップバイステップの説得はできません。なぜなら、文章の場合、結論が先にないと、ページをめくって結論を先に見るからです。文章では読み方を、受信者が決めるのです。どんな結論になるかわからない文章を、1ページ目から順を追って読む人はいません。一方、プレゼンテーションは最初から最後までを通しで聞くのが前提になりやすいので、ステップバイステップの説得に向いています。
文章とスピーチの違い(Part1)
文章とスピーチ(プレゼンテーション)は、何が違うでしょうか?この違いを意識すると、効果的な説明方法がわかります。私が感じる違いは、以下の5点です。他にもありませんか?
 1.文章は記録に残るが、スピーチはその場で消える
 2.文章は目から入ってくるが、スピーチは主に耳から入ってくる
 3.文章は読み方を受信者が決めるが、スピーチは受信者がコントロールできない
 4.文章はある程度の広範囲を見渡せるが、スピーチは話している部分しか意識できない
 5.文章はすべてを決めてから書くが、スピーチはある程度即興で話せる

1.文章は記録に残るが、スピーチはその場で消える
 なので、記録に残すときは、原則として文章を使います。記録に残るので、後で読み直すこともできます。スピーチも録音という手がありますが、その頻度を考えれば例外と言えるでしょう。

2.文章は目から入ってくるが、スピーチは主に耳から入ってくる
 なので、強調の仕方が変わります。文章は強調したいときには目に訴えます。つまり、強調したい箇所のフォントを大きくしたり、下線を引いたり、色を変えたりします。一方、スピーチは耳に訴えます。強調したい箇所では声を大きくしたり、間を開けたりします。

3.文章は読み方を受信者が決めるが、スピーチは受信者がコントロールできない
 なので、文章では読む速度から読む箇所まで読み手が決めます。文章なら、概略だけ読んで終わりにすることも、全部を通しで読むことも、大事な部分だけを選んで読むことも、分かりにくい部分を戻って読み直すのも、読み手の自由です。一方、スピーチは受信者である聞き手はコントロールできません。最初から最後までを通しで一回聞くのが前提になりやすいです。

4.文章はある程度の広範囲を見渡せるが、スピーチは話している部分しか意識できない
 なので、文章では全体を意識しながら細部を読めます。最近の文章は両面コピーか、ディスプレイに2枚表示が多いです。ですから、ある程度の範囲で前後を見渡せます。一方、スピーチでは、今話しているその部分、そのスライドしか意識できません。

5.文章はすべてを決めてから書くが、スピーチはある程度即興で話せる
 なので、文章では後から修正できません。一方、スピーチは聴衆を見ながら対応できます。聴衆が理解できていないと思えば、具体例を追加したりすることも自由です。

 では、文章とスピーチでどう説明の仕方を変えるか?それは次回。
自分の文章のチェック方法
 自分の文章が論理的で分かりやすいかどうかは、以下の方法でチェックできます。
 1.後に登場する見出しをすべて使って、簡単な総括文章が作れるか
 2.各パラグラフは、4-8文で構成されているか
 3.各パラグラフの先頭文でロジックは通るか
 4.各パラグラフの先頭文は、既知から未知に流れるか

1.
 正しく書かれた文章では、後に登場する見出しをすべて使って、簡単な総括文章が作れるはずです。見出しは、その文章のキーワード、つまり重要な論理構成単位です。論理構成単位を集めれば、文章の総括が出来るはずです。見出しを集めて短い総括的な文章が作れないなら、論理構成が不十分な証拠です。

2.
 正しく書かれた文章では、各パラグラフは、4-8文で構成されているはずです。説得力のある文章では、すべてのトピックを、データや具体例などで説明、論証しなければなりません。しっかりと説明、論証しようとすれば、4-8文程度は必要です。1つのパラグラフが1,2文だけで終わってしまうなら、説得できない、分かりにくい文章である証拠です。

3.
 正しく書かれた文章では、各パラグラフの先頭文でロジックは通るはずです。1つのパラグラフは、1つのトピック、1つの論理構成単位で構成されています。そのトピックを適切に1文目で表明できれば、1文目だけ読んで、すべての論理構成単位が拾えるはずです。すべての論理構成単位が拾えれば、それだけで文章として成立する、ロジックが通るはずです。各パラグラフの先頭文でロジックは通らないなら、1パラグラフは1トピックの原則が守られていないか、先頭文でトピックを述べていない文章である証拠です。

4.
 正しく書かれた文章では、各パラグラフの先頭文は、既知から未知に流れるはずです。その文章が横に並ぶロジックなら、最初にA,B,Cとポイントを述べてからA,B,Cを詳しく説明します。たとえば、この文章がまさにその形です。一方、その文章が縦につながっているなら、A-B、B-C、C-Dのように流れます。たとえば、以下のようにパラグラフの先頭文が流れます。
 ・プラントXで不純物混入という問題が生じている
 ・不純物が混入した原因は、バルブAに問題がある
 ・そこで、バルブAに〇〇という対策を取った
 ・この対策の結果、不純物混入率は基準値以下に収まるようになった
各パラグラフの先頭文が、既知から未知に流れないなら、説明が不十分、ロジックが飛んでいる文章である証拠です。

 ちなみに、上記4条件を満たす文章を見ることは、まずありません。
サマータイムの主なメリット・デメリット
 この夏の酷暑&東京オリンピック開催の観点から、サマータイム制が急浮上しています。サマータイムは、アメリカで生活していたとき、切り替え時を2度体験しました。その経験から、個人的には賛成です。しかし、いい加減な議論がまかり通っているので整理します。

 サマータイムの主なメリット・デメリットは、以下のようかと思います。
<メリット>
1.省エネ
2.活動しやすい
3.余暇増大
4.レジャー産業の繁栄
5.交通事故減少
<デメリット>
1.残業増加
2.切り替え時のトラブル&コスト増
3.切り替え時の体調不良

<メリット>

1.省エネ
 省エネになるという試算がある機関から出ています。しかし、推進派の試算だけに、あまり当てにはできません。省エネにはなるでしょうが、思ったほどではと言うのが現実かと思います。過大な期待は禁物です。

2.活動しやすい
 まあ、早朝の活動(通勤とか)は楽ですが、夕方の活動(帰宅)がきつくなります。オリンピックだけなら、それでもいいのでしょうが。プラスマイナスゼロですかねえ。

3.余暇増大
 ゴルフのような照明を使えない屋外レジャーは、ずらした時間の分だけ長く楽しめます。特に休日の夕刻でレジャーがしやすくなります。平日だと、明るいからと言って遊ぼうという気になる日本人は少ないでしょう。帰宅時明るくて暑いので、ビヤガーデンに出かける人は増えるかも。ただ、花火大会は厳しいかも。営業時間が延びそうなレジャー産業と、その逆で困る産業の例がもっとほしいです。

4.レジャー産業の繁栄
 上記の関連企業および飲食店などは、売り上げが伸びるでしょう。これも、試算や具体例がほしいですね。

5.交通事故減少
 これについては、わずかではありますが海外でのデータがあります。人が活動している時間での明るい時間の割合が増えるので、事故が減るという理屈です。しかし、この理屈が成立するなら、日の長い春から秋にかけての方が、秋から冬にかけてより、交通事故が減らなければなりません。国内ではそうのような傾向はありません。

<デメリット>
1.残業増加
 残業が増えるのは、明るい間に仕事をする人たちだけです。たとえば建築業とか。外が明るいからと言って、残業するオフィスワーカーは少ないでしょう。日照時間で残業が増えるなら、日の長い春から秋にかけての方が、秋から冬にかけてより、残業時間が増えなければなりません。国内ではそうのような傾向はありません。

2.切り替え時のトラブル&コスト増
 これは避けがたいですし、かなりのコストが必要です。特に、銀行のシステムや交通機関の運行システムでは大変です。ただし、多くの場合、導入時の最初の1回だけです。年に2回の切り替えは、家庭内においてはたいした手間ではありません。実は、今の多くの家電には、サマータイム制対応機能がついています。使わないし、目立たないだけです。

3.切り替え時の体調不良
 これを大げさに主張する団体がいますが、体験上、何の問題もありません。そもそも、1時間程度の変化で体調不良を起こすなら、年がら年中体調不良です。しかし、弱者のことを考慮しなければなりません。特に80歳以上の高齢者のデータがほしいです。

<注意>
当たり前ですが、1日は24時間であることは変わりません(切り替え時の2日を除いて)。9時-17時が定時の会社なら、9時-17時定時は何も変わりません。帰宅するとき、例年より外が明るいだけです。
推奨図書「読ませる技術 聞かせる技術」
 講談社ブルーバックスより、『こうすればわかりやすい表現』(海保博之)の新装版が発売されます。『心理学者が教える 読ませる技術 聞かせる技術 心を動かす、わかりやすい表現のコツ』です。

 実は、この出版には私が一枚噛んでいます。以前、『こうすればわかりやすい表現』(海保博之)がよい本であることを、自分のFaceBookで紹介しました。その投稿を、知り合いの講談社ブルーバックスの編集者が目に留め、社内で話をしているうちに、新装版の発売に結びついたとか。

 講談社から献本していただいたので一気に読みました。

 短期メモリと長期メモリの二貯蔵庫モデルの話(1章)と、メンタルモデルの話(6章)は、この本が素人向けには最も詳しく書かれていると思います。しかし、他の章はちょっと微妙。とくに、パラグラフの理解は間違っています。つまり、認知心理学の入門として優れているのだが、ライティング技術としては不十分なので、読む際には気をつけて。

読ませる技術聞かせる技術

講義中のスマホ操作
 ネットを見ていたら、授業中にスマホをいじっていて、注意されたら逆ギレした学生の話が載っていた。
学生「誰にも迷惑をかけていないのに、何が悪いのですか?」
教授「強いて言えば頭かな」
まあ、切り返しとしては上手だが、答えにはなっていない。

 私は、講義中のスマホは認めない。マナーとは別に、理由は2つ。

1.
スマホをいじっていては講義について行けない。仮に、講義に関することを調べていたとしても、その間に講義は流れていく。休憩時間に調べるべきだ。調べないと講義について行けないような説明はしていない。講義を聴くことと、スマホで調べることの優先順位が間違っている。

2.
講義は、講師と受講者の協力があってよい状態になる。その場に参加した以上、受講者にもよい授業を作ることに協力が求められる。このことは裁判で判例がある(談志の居眠り訴訟)。

 ちなみに、私の場合、企業研修なだけに、受講者が有しているのは権利ではなく義務だ。受講者は、企業からお金をもらって参加しているのだから、講義内容を身につける義務を有している。講義を受ける権利を有しているのではない。こは、学校とは少し違うところ。
クリティカルシンキング講座の体験報告(4)
 先日、グ〇ービス社のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第四弾(最終回)。

 「枠組みで考える」という項目で、講師は「野球の功走守」を例に挙げたが、「功走守」はMECEではない。「功」と「守」でMECEだ。「功」の中が「打」と「走」に分かれるのだ。有名なフレームワークが、必ずしも上手にMECEになっているとは限らない。

 この講師は、クリティカルにシンキングできない。クリティカルシンキングとは、直訳すれば「批判的思考」だ(危機的思考ではない)。つまり、鵜呑みにせず、疑ってかかれということだ。仮に対象が、大学教授の意見だろうが、名著の誉れ高い書物の内容だろうが、有名なフレームワークだろうが。

 私がクリティカルシンキングに本格的に触れたのは、20年前の下図の書物。この本は、当時ディベートを勉強している人たちの間で、相当話題になった。この後、「実践編」が出るのが待ち遠しかったものだ。まあ、「実践編」は、期待が高かっただけに、ちょっと期待外れではあったが。

 ちなみに、私は(極まれだが)著作にサインを求められたとき、サインと一緒に「本に書いてあることを鵜呑みにするな」と書く時がある。

critical thinkinb

クリティカルシンキング講座の体験報告(3)
 先日、グ〇ービス社のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第三弾。

 第二学習ポイントの「枠組みで考える(フレームワーク思考)」で、「A事業に進出したい。どんな点を押さえるか?」というテーマが出た。グループワークでの討議となる。

 まず、出題がアバウトすぎて、何を討議すればよいのかわからない。フレームワーク思考の勉強だから、メンバーからはいくつかのフレームワークが示された。何を深めてよいかわからない。
 3C(Customer, Company, Competitor)
 4P(Place, Price, Product, Promotion)
 SWOT分析
 人、モノ、金、(情報)

 ここで、講師が「儲かるか?」以外の視点はないかと指摘してきた。つまり、「儲かるか?」とは別の視点でフレームワークを作れということだ。

 私は、以下の3つの視点を示した。この3視点はいいフレームワークと思う。実際、多くの企業の基本方針は、この3つでできている。
1.お客様のため(=会社利益)
2.社会のため
3.従業員のため

 講師の出してきたフレームワークは以下の3つだった。
1.儲かるか?
2.自社ができるか?
3.自社がやるべきか?

 この答えに私はかなり不満だ。なぜなら「儲かるか?」は「自社ができるか?」を完全に含んでいる。この場合、「儲かるか?」の主語は「当社」に決まっている。「儲かる」=「自社ができる」に決まっている。これではフレームワークにならない。

 講師は、フレームワーク思考を正しく理解しているのか?
それとも、私が何か勘違いしているのか?
クリティカルシンキング講座の体験報告(2)
 先日、グ〇ービス社(この伏字じゃあ、どこだかまるわかりだ)のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。この講座をクリティカルにシンキングする第二弾。

 この体験講座では、次の3つを学んだ(詳細は省略)。
1.分解して考える(モレなくダブりなく=MECE)
2.枠組みで考える(フレームワーク思考)
3.価値ある解釈をする(データに意味ある解釈をつける)

 気になるのは、この3項目がMECEでもなければ、フレームワークで思考されてもいないことだ。これでは、指導する内容が機能しないことを自己証明してしまう。「この3項目を勉強しても、実践では使わないよ」といっているのと同じだ。この3項目が重要なら、なぜこの講座は、この3項目をベースに組み立てられていないのだろう。

 同様のことは、多くの講座やビジネス書で見受けられる。たとえば、私の専門であるライティングでは以下のようなことがよくある。
 ・「ポイントを先に書く」と指導している本のポイントが前に書いていない
 ・「起承転結で書く」と指導している本が起承転結に書かれていない
 ・「例を挙げずに理屈を述べるな」と指導している本が、根拠も事例も挙げず主張している

 では、どう改善すればよいか? 自分なりの改善案を示そう。

 クリティカルシンキングをMECEに定義した上で、各要素ごとに代表例を取り出すのだ。たとえば、クリティカルシンキングは、AとBとCができている状態(このA、B、CがMECE)と定義する。ここで、Aからは代表的な考え方としてaを、Bからはbを、Cからはcを取り出して説明する。a,b,cはMECEになっていないが、おおもとがMECEだから、論理的な説明にはなる。

 より具体的には、私は、論理的であることを、「ロジック構築とロジック論証が正しくなされている状態」と定義している。ロジック構築とは、ロジック構成要素を縦と横で正しく接続することである。ロジック論証とは、ロジック構成要素が十分に論証されていることである。(これ以上の詳細はここでは省略)

 こう定義した上で、定義と指導項目を以下のように関連づける。
・ロジック構築の縦接続 → (今回の講座では学習項目がない)
・ロジック構築の横接続 → MECEやフレームワーク
・ロジック論証 → 価値ある解釈をする

 論理的であることの定義の正誤は別として、このように構成されていれば、論理性が生じる。逆に、このような説明ができないなら、大して重要でもないことを指導している可能性も否定できない。
クリティカルシンキング講座の体験報告(1)
 先日、グ〇ービス社(この伏字じゃあ、どこだかまるわかりだ)のMBAクリティカルシンキング講座を1時間体験してきた。色々感じることがあるが、今日はグループワークについて。

 この会社は、講義でグループワークを重視している。そのホームページにも、次のような記載がある。
「グロービスの授業では、グループディスカッションや相互フィー ドバック、クラス全体でのディスカッションを通じて、自分の思考プロセスを客観的に振り返る機会が数多く設けられています。」

 私の研修でも、グループワークが効果的と思うときは、グループワークを使う。たとえば、以下のような場合。
 ・ディベートやネゴシエーションのように、一人ではできない演習
 ・正解のない問題を検討するのにあたり、ほかの人の切り口が参考になる場合

 しかし、今回の講座のグループワーク:「メンバーで共通することを5つ見つけてください」がどうにも理解できない。なんだこのテーマ?このテーマをグループで話し合う意図がわからない。答えは「目が二つある」でもいいのか?ちなみに、このグループワークはアイスブレークではない。すでに、アイスブレークを兼ねた自己紹介などは終わっている。案の定、「日本人」とか、どうしていいのかわからない答えが出てくる。クリティカルシンキング講座なのに、この非論理性は何?

 さらに次のテーマが、「共通する項目をブレークダウンして、より具体的な項目を見つけ出してください」は無理。このテーマの意図は、「全員が酒好き」という共通する項目を見つけたら、さらに「全員がビール好き」のようにブレークダウンしてほしいらしい。しかし、メンバー全員が同じはそう簡単ではない。結局、全グループが1つとしてブレークダウンできなかった。

 結局、このグループワークの意図は、受講者には全く伝わらなかった。講師は、「抽象から具象、具象から抽象に、自由に発想を行き来できることが、クリティカルシンキングでは大事」ということを言おうとしたかったらしい。しかし、このグループワークでは、そんなことは理解できなかった。いや、そもそも、「抽象から具象、具象から抽象に、自由に発想を行き来できることが、クリティカルシンキングでは大事」ということを伝えようとしていたことすら、受講者は気が付かなかったろう。なにしろ、このまとめは、テキストにもスライドにも登場しない。私が、「ペン先から煙が出る速度で」ノートをとっていたから、メモできたのだ。

 なぜ、こんなバカな講義が行われるかというと、講師が未熟だからだ。この会社の講義は、教科ごとにテキストは決まっていて、複数の講師が担当する。講師は、その教科を少し勉強しただけで、人が作ったテキストとプログラムに基づいて講義を行う。まあ、業界でいう「しゃべくり講師」だ。話し方は上手でも、教科に関するスキルは浅い。このテーマでグループワークをすると決まっているので、意味があるかは思考せずに、ただグループワークをやっているのだ。

 オープニングからいきなり、「なんだこれ?」と思いつつ、次回に続く。
どう質問すれば、相手を窮地に追い込めるか(2)
 日大アメフト部の問題。この手のニュースを見ると、私は、「どう質問すれば、相手を窮地に追い込めるか」を考えてしまう。ディベートにおける尋問の練習だ。

 相手を窮地に追い込む質問方法は2つある。
1.相手から事実(と主張すること)だけを複数聞き出し、その事実の矛盾を指摘する
2.誘導尋問で、YESともNOとも言えなくする

 今日は、上記2の話。

 普通に質問すればNOと答える質問を、YESと答えるように誘導する手法である。裁判では使えまない。裁判で使うと、相手の弁護士が「異議あり。誘導尋問です」と裁判長に主張し、裁判長は「異議を認めます」と述べて、質疑が無効となる。しかし、ディベート競技や日常では有効。

 今回のアメフトの事件で、以下のような質問が考えられる。

質問:「宮川選手は、試合前の数日間、全体練習から外されていましたね」
監督:「はい」
質問:「宮川選手を全体練習から外したのは、練習に覇気を感じなかったからですね」
監督:「はい」
質問:「でも、試合当日、宮川選手を1プレー目から使いましたね。」
監督:「はい」
質問:「宮川選手を1プレー目から使ったのは、当日の彼の言動に覇気を感じたからですね。」
監督:「はい」
質問:「そこで、1プレー目からQBを潰すような気持ちでいけと送り出したのですね。」
監督:「はい」
質問:「相手QBがパスを投げた後、ボールを見ていて、宮川選手を見ていなかったのですね」
監督:「はい」
質問:「その後、宮川選手のタックルで、相手QBが怪我したことを知ったのですね。」
監督:「はい」
質問:「1プレー目の後、宮川選手に指示も出していないし交代もしていませんね。」
監督:「はい」
質問:「つまり、相手QBがパスを投げた後、ケガするほどのタックルをすることを、覇気のあるプレーとしてみなしたのですね」
監督:「…」

この尋問のコツは、次の3つにある。
1.「はい」としか答えようのない質問をする
2.質問は、可能な限りスモールステップを踏む
3.最後に、これまで認めたことを使った質問をする

 まあ、これでうまくいくとは限らないが、あくまでディベートの尋問のトレーニングと思ってください。
どう質問すれば、相手を窮地に追い込めるか(1)
 日大アメフト部の問題。この手のニュースを見ると、私は、「どう質問すれば、相手を窮地に追い込めるか」を考えてしまう。ディベートにおける尋問の練習だ。

 相手を窮地に追い込む質問方法は2つある。
1.相手から事実(と主張すること)だけを複数聞き出し、その事実の矛盾を指摘する
2.誘導尋問で、YESともNOとも言えなくする

 今日は、上記1の話。

 嘘をつけば、必ず矛盾が生じるので、そこを指摘する手法である。たとえば、「あなたはAの後、Bをしたとおっしゃったけど、Aしてしまうと〇〇になるから、Bはできないでしょ」のように。裁判において弁護士が使う手法とも聞いている。

 今回のアメフトの事件で、日大監督は、「ボールを見ていて、関学大のQBがタックルを受けた瞬間は見ていない」と述べているようだ。そこで、以下のような質問が考えられる。

質問:「パスを投げるまでは、関学大のQBを見ていましたか?」
監督:「はい」
質問:「QBがパスを投げた後、そのボールを目で追ったのですね?」
監督:「はい」
質問:「パスがインコンプーリート(不成功)になるのを見ましたか?」
監督:「はい」
質問:「その後、QBの方を見たけど、すでにタックルを受けた後だったのですね。」
監督:「はい」
質問:「パスがインコンプーリートになるまでボールを見ていたので、タックルの瞬間を見ていないのですね?」
監督:「はい」
質問:「パスがインコンプーリートになってからQBがタックルを受けるまでは、ビデオによると1秒以上ありますが、その間、なぜインコンプリートになってグランドに転がっているボールを見ていたのですか?」
監督:「…」

この尋問のコツは、次の3つにある。
1.相手には、可能な限り「はい」としか答えさせない
2.とどめの質問をする前に、もう一度、事実を確認する(このケースなら「パスがインコンプーリートになるまでボールを見ていたので、タックルの瞬間を見ていないのですね?」と念押しをする)
3.矛盾点を最後に示す(途中でにおわせない)

 まあ、これでうまくいくとは限らないが、あくまでディベートの尋問のトレーニングと思ってください。


プロフィール

ロジカルスキル研究所代表

Author:ロジカルスキル研究所代表
ロジカルスキルを企業研修で指導しています。主な講座は、ロジカルライティング、ロジカルネゴシエーション、ディベート、ロジカルプレゼンテーション、英文テクニカルライティングです。

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